「でも だから」NDS校長 野口朝夫

ずっと昔、学生のころ授業で一番気が進まなかったのが、「構造力学」と「環境・設備原論」だった。「構造力学」は文字通り、建物が構造的に保つために必要な力学を学ぶ授業であるが、何せ、力の流れは目に見えない。谷に長い橋が架かっていると「よく落ちないものだ」と感心する身にとっては、たとえ木造でも、感覚的に理解できる範囲ならともかく、大スパン架構など見慣れる範囲を超えると理解が遠くなる。

もう一つの「環境・設備原論」。教科書が厚く、数式とグラフばかり細かく書かれ、太陽の角度や日射、熱の移動や空気や風の話など全く関心を持つことができなかった。先生の講義の口調も単調だったことも、理由かもしれない。また、この科目は構造力学以上に、「太陽は東から昇る」「夏は暑い」などなど経験的に分かることも関係したかもしれない。とはいえ今振り返ると、デザイン指向の学生には、ともにデザインに直接関係しない科目という先入観が一番影響したのだろう。

しかし、卒業し設計事務所に入って、この二つを正面から学ばなかったことに後悔させられる。
事務所の先輩の何人かは(全員ではない)、設計する建物の構造を自分で計算し、どこがギリギリか判断でき、デザインに生かしていた。また軒の出を決める根拠を、太陽の動きから決めることも当たり前だった。デザインというのが、感覚・感情で決まるのではなく、根拠をもった理屈で決まってくることを、社会に出て初めて知った。

自分で設計を始めたころはちょうど第二次オイルショックの後で、初めての住宅設計の施主はタンカーの船長だった。アラビア海を日頃通過していた施主は、日々の実感から「いつまでも日本に石油が入ってくるはずはない」と確信し、エネルギーを考えた設計をして欲しいと注文された。そこで太陽熱を利用した給湯設備を屋根に乗せた住宅を設計した。地方で流行ったいわゆる太陽温水器である。採用したのはこれを大規模化したもの。屋上のガラスチューブを太陽の熱で暖め、暖められた熱媒を地下の貯湯槽に循環させてお湯を作る単純なシステムだったが、ポンプが壊れるまで、30年以上元気にお湯を沸かしてくれた。施主は、お風呂のお湯がガスで沸かすより、絶対「まろやかだ」といつもおっしゃっていた。

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この経験から、扱いが難しい水・液体を使わないシステムで、もう少し熱利用ができるものがないかと、屋根の鉄板の上にガラスを張り、熱せられた空気をファンで床下におくり、基礎のコンクリートにためて徐々に放熱するという穏やかなOMソーラーシステムにチャレンジした。この暖房システムは使い勝手が良く何軒も採用した。軽井沢の別荘でもこのシステムを取り入れた。軽井沢は湿度が高く、たまの休日にせっかく行っても先ずは押入の布団を乾かし、風通しに一日掛けねばならない。人がいなくとも、太陽が出て屋根が暖められればサーモスタットが働き、自動的に家中の空気が循環し乾燥が進むこのシステムは、無駄が少ないやり方であった。
給湯や暖房用と目的を限らないエネルギー利用システムとして、太陽光発電システムも設計した。これは、補助金制度もあり、150万円程度の投資で10年間に倍近く戻り金(売電)があるという、わかりやすいもので、昨今は大変安価に設置できるようになっている。

太陽光発電 発電量・消費量

 

今、工事が進んでいる建物は、エアコン一台で50坪弱の床を冬は暖め、夏は冷やすというデザインである。それも冬には雪が1mは積もるという日本海側にあり、寒さは厳しく夏は西日が厳しい。まだ完成していないので少々心配もあるが、計算上は充分成り立っている。その鍵は断熱材にある。外壁では120㎜+50㎜の断熱材。屋根では合計345㎜ほどの断熱材。開口部はガラスが二重に組み合わされたペアガラスを入れている。要は熱を外に出さず入れないようにと、建物全体を布団でくるんでしまう作りとなっている。屋根に発電用ソーラーパネルを載せることで、エネルギーの自給はほとんどできる。

このような太陽を利用する給湯や暖房、発電システムは、これまでどちらかというと、家を作る中で「おまけ」「ぜいたく」のイメージが強く、設備には余分にお金が掛かると感じられていたと思う。ところが、ご存じのよう、このところこのエネルギーに関する考えが全く変わりつつある。暑すぎる夏や大雨、洪水など地球温暖化の現実を身にしみて感じるようになり、化石燃料などによる二酸化炭素の増加が地球にとり危険なものと認識され、家庭においてもエネルギーを自給自足することが、人類の存続のために必要だという意識である。これまでの「おまけ」の設備投資から、ガス、水道、フロなどと同じような、住宅にとって不可欠な設備に変わり始めている。

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