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タイガの森を抜けてー写真家 山市直佑 ロシア・ウクライナ紀行ー後編

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11月10日。ロシアのキエフスカヤ駅からウクライナのキーウへ向かおうとしたとき、朝7時半ごろ、人々の暮らしを間近で見たような気がした。東京のラッシュアワーとまでは言わない。しかし出勤していく人々の列に、そこに生きる人々の息遣いを感じた。

ぼくはこの日、夢をかなえた。そう。ロシア鉄道だ。
ロシアとウクライナは隣国で、鉄道がつながっている。その間は町が続くのではなく、タイガと平原を抜ける。

スラブ言語という言葉がある。ぼくがブルガリアを訪れたとき、お世話になったウズノフ氏から聞いた話だ。スラブ語派はブルガリア語を母体にしている。だから、ロシア語はだいたいわかるんだ、と。ぼくはそれもあって、片言のロシア語でブルガリアの多くの友人と話すことができた。ロシアでの言葉も、鉄道の中でのウクライナの人との会話も、なんとなく通じ合っていた。たぶん東京の言葉と関西の言葉より、違いは少ない。

朝8時半に列車に乗り、夜20時半にはキーウにいた。列車は定刻に着いた。旅先で時刻通りに交通機関が動くのは珍しくて驚いた。

中央駅に降り立つと、たくさんの人がホームに立っていた。降車した人と乗車する人、出迎える人、ものを売る人。様々な顔がそこにあって、そしてそれが大都会のど真ん中で起きていた。ぼくは出迎えに来てくれる予定のアレックス氏を探したが、わからず、突っ立っていたら、「僕を待っているんだろ?」と彼の方から声をかけてくれた。久しぶりに最初から英語で話しかけられた。

中央駅は広く、美しく、整備されていた。ウクライナの現地通貨を持っていないから両替がしたい、と話すと、ここより市街地の方がレートがいい、と当然のことを当然のように教えてくれた。

キーウもまた、とても朗らかな町だった。
中央駅から市街地に向かう地下鉄のトークンは、もう一人の宿のスタッフ、イゴール氏が買ってぼくに渡してくれた。地下鉄の形はモスクワのものと同じで、でも、車両はより新しく、広告はすべて映像だった。人々の表情は柔和で、穏やかに思えた。

独立広場近くの交差点で交通事故現場を見た。アレックス氏も「ひどい」とつぶやいていた。こんな事故は日常茶飯事ではないということ。人が傷つくような街ではないということが、アレックス氏やイゴール氏の反応でよくわかった。

両替は銀行でするようすすめられ、ATMも教えてくれたが、ユーロで払ってもいいんだよ、という申し出に素直に甘えることにした。レートは銀行のその日のレートそのもの。
到着したばかりの慣れない外国人でも、キーウの夜の町は歩けたし、空腹を満たす余裕があった。

独立広場は22時を過ぎても若者が集い、恋人たちが時を過ごしていた。

いま、当時の日記を読み返して思うのは、モスクワもキーウも、大きな差はなかった、ということだ。文化的な背景や、歴史的な違いはあるんだろう。でも、そこに生きていた、当時ぼくが出会い、言葉を交わし、10年以上経ったいまでも記憶に残っている人たちとのやり取りは、優しさや人懐っこさ、当時のぼくと気が合わない人はしかめっ面をするのは、どっちの町でも同じだった。

いま、テレビの向こうで争わなきゃいけなくなっているふたつの国は、果してどれほどの違いがあったんだろう。
もう、ぼくが訪れたキーウの場所も、ほとんど残っていないはずだ。

ある本で「悪の愚かさについて」語られている。その中の一節では次のように東は述べる。
「おそらくは悪については、加害と被害の二項対立ではなく、三項鼎立で考える必要があるのだ。(中略)忘却と追悼を対立させ、悪を物語化することで満足するのではなく、悪の浅薄さと卑小さも記憶すること。(中略)その第三の視点を手にして、はじめてぼくたちは、悪について正面から考えることができる。忘れるのでも、非難するのでもなく、「考える」ことができるのだ。(ゲンロン10 2019/9/15[悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題/東浩紀]p66-67)

当時はこの論考は知らない。当時はこの2つの町が10年後に争うことになるだなんて、微塵も想像しなかった。
どちらにも、当たりまえの、「ふつうの人たち」が生きていて、それは「ありふれた欲望、普通の思いやり、普通の夢、普通のずるさ」を持ったぼくらが暮らしている。(「イカロスの森」黒川創)

モスクワでも、キーウでも、ぼくは街を見下ろす小高い丘を訪れている。
どの町に行った時も、必ずすることのひとつだ。
モスクワではその日の日記に「なんという穏やかな時間!」と書いていて、その後に街並みの美しさや、風景について記録されている。
キーウでは「人々が憩いの時間を過ごしていた」と書いていて、旧市街から新市街まで見渡す街並みの美しさについて記録している。
出会った人たち、すれ違った人たち、ぼくが眺めた風景、過ごした町。そういったすべての思い出をもう一度振り返り、当時社会にあった「イデオロギー」について考えていたように、いまこの世界にあることについて「考える」ことができるのではないか。

文・写真/山市直佑

展示情報

「 Oneness 」

氏 名:山市 直佑
会 期:2022年5月3日(火)~ 5月15日(日)月曜日休廊
会 場:Koma gallery URL:https://www.komagallery.com/
住 所:〒153-0062 東京都目黒区三田1-12-25 金子ビル201
時 間:11:00~19:00 最終日は15:00まで
料 金:入場無料

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