Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.22

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードを伺い、紹介していきます。

道標

PFWゼミ10期生 鮫島 輝剛

慣れない高地の洗礼を受け、写真を撮れない日々が続いた。

3月に始まった半年の旅の中で6月、後半戦の皮切りにと意気込んで訪れたラダックは標高3,500mを越える高山地帯にあるインドの連邦直轄領だ。
この地域にはチベット仏教徒が多く、その歴史もあり、これまで巡ってきた場所とは異なる風景を期待して訪れた。

前半の成果はまるで手応えのないもので、自分に足りないものも感じ始めていた。
ただ、どうするべきか。どこへ向かったらいいのか。その答えを持てずに、これまでの醜態を払拭したいという焦りや気負いだけがあった。
とにかく撮影に行かなければ。行って撮れば何かにはなる。
そんな風に自分を鼓舞しつつも現実は思うように進められず、初日から高山病に苦しんだ。
飛行機で来たこともあって、急な環境の変化に身体が耐えられなかったようだ。
身体が自分のものではないような感覚のままベッドで横になり、外を眺めるだけの時間の中で、これまでの撮影を思い返しては反省し、残りの限られた時間で成さなければいけない事とこの身体の状態を思うと、焦燥感が膨らむ一方だった。

薬を飲みながら擬しい日々を過ごし、3日目にして漸くマシになったように思えた。

その夜、現地で出会った日本人の山下さんとホテルの近くのレストランへ行った。
景気付けにといろいろ食べた中で、モモという餃子のような料理がとても美味しかったことが印象的だが、食事を終えた後に再び倒れてしまい、レストランの方や山下さんの助けを借りて病院へ行き、結局一晩入院することに‥。

殺風景な病院だった。
それでも医師や看護師の皆さんは、自分の症状すら上手く伝えられない私にとても親切で、宿や先のレストランの方々を含め、この街に来てからというもの、人の温かさを感じるばかりだった。
インドに入国してから、どうにか騙そうとしてくるタクシードライバーや、鶏を浅く切りつけて吊し上げ、血が抜けていく様子を撮って欲しがる店主等、実に様々な人に出会う中で、初めて人の優しさに触れた気がして、余計に沁みた。

処置のおかげで少しずつ体調と落ち着きを取り戻す一方で、作品作りが上手くいかない事に対する焦りは虚しさと諦めに変わりつつあった。
この幸先の悪さがこれから先の全てを物語っているようにしか思えなかった。

 

翌朝退院した。
インドの公的医療機関では無料で診て貰えるようで、私も同様に支払いは無く、更には親切な方が宿の近くまで送ってくれた。

3月に旅立ってからというもの、私はただひたすら貪欲に撮影する事が大切だと考えていたし、それだけは実行し続けていた。
しかし、この街での滞在時間はまだわずかにあったものの、私は撮影に臨めなかった。
次の一歩を踏み出す為に一旦私の中で何かを咀嚼する必要があった。

 

少し休んだ後に、先日倒れた時に居たレストランへ足を運んだ。
店に入るなり店員の1人が私に気付いて快く迎えてくれ、他のスタッフも出てきて、更には無償で温かい生姜湯まで出してくれた。
食事時ではなく、客もほぼいなかったようで彼らも退屈していたらしい。
私は単純に謝意を伝えに来ただけのつもりだったが、彼らは私の話を聞きたがったので、拙い言葉で伝えられる限りの話を伝えた。
訪れた国や街、信仰、家族、日本の食事、撮った写真、旅の目的、これからの予定…
いろいろな質問を投げかけられ、ありのままを答える中で、私は自然と今直面している葛藤に関しても話してしまっていた。
口走ったことに対する後悔が頭を過ぎった。

すると1人が店の奥にいた女性と子供達を指差して、あそこに居るのは自分の家族だと話し始めた。
彼は家族を養う為、人の集まるこの街に仕事を求めて来たそうだ。
自分は家族が出来て変わった。
何を優先すべきかを見つけて、それからはブレることはない。
焦らなくてもそれはきっと見つかる。
だからゆっくり、地に足をついて歩んでいけば良いと。
彼は何度も「slowly」という言葉を口にした。

レストランのスタッフは皆笑顔を絶やさず、感情の表現が豊かな人の集まりだったが、その時は誰1人として彼のその話を茶化さずに、私の反応を待ってくれた。

 

帰り道、公園で休んでいると子供達が寄って来て、カメラを使って遊びあった。

言葉は通じなかったが、実に気のいい子供達で、なんだかすごく元気を貰えた気がした。
こんな風に子供達と関われたのも、これまでの経験も全て写真があったからこそだなと思うと、少しだけ晴れるものがあった。

その晩、ホテルの屋上で星を眺めた。
標高が標高なだけに、本当に素晴らしい星空だった。
東京で見上げる星より、ずっと、何倍も近づいたように見える。
だけど実際は1%も近づいてはいないのだろう。

在りたい自分の姿を想った。
心のどこかで、この旅の終わりが今歩んでいる道の終着点のように考えてしまっていたが、その姿はもっとずっと先にある。
それでも、見上げた星々よりは手の届くところにあるように感じる。

この街に来ただけでも随分と沢山の人に助けられた。
そしてここまで生きてくるのに数えきれない人の支えがあったことを、漠然とだけど理解出来る。
その全てに恥じることのない歩みをこの道の上に重ねていこう。
ゆっくりでも着実に、信念を持って歩んでいくことで、その姿に近づいていけるような気がした。

翌朝、再び見下ろしたヒマラヤ山脈に決意を刻み、次の街へ向かった。

 

 

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