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【連載】時代を写した写真家100人の肖像 No.45 へドロの東京湾に見た生命の輝き 中村征夫『全・東京湾』(情報センター出版局) 鳥原学

臨海副都心や東京ディズニーランドなど、1980年代に埋め立てと再開発が進んだ東京湾沿岸。かつて江戸前と呼ばれた豊かな海は、コンクリートの堤防で目隠しのように遮られてしまった。だが「水中の報道写真家」と呼ばれた中村征夫は、へドロにまみれて生きる〝江戸前″の生物たちのたくましさを写した。

 

江戸前はどこにある

東京は、江戸のころから常に海へ海へと膨張してきた巨大都市である。ことに1960年代以降の高度経済成長期には、干潟や海浜の渚の約9割が埋め立てられ、広大な京葉臨海工業地帯が造成された。それは高度経済成長をけん引する場所となったものの、首都圏の急激な開発と人口集中の結果、海の浄化機能は急速に失われていった。水中写真家の中村征夫が、初めて東京湾に潜ったのは、その汚染がピークに達していた1977年のことである。

なぜ汚れた海に関心を向けたのか? その問いに中村は「江戸前を食ってみたかった」からだと語る。

地理的に定義すれば、江戸前とは、千葉の富津岬と神奈川の観音崎を結ぶラインの北側の海域を指す。確かに、その江戸前はかつて豊かな海であった。大小多数の河川から注ぎ込まれた栄養素がプランクトンを繁殖させ、そのプランクトンが脂ののった魚介類を育てたのである。握り寿司や天ぷらに代表される江戸・東京の食文化は、この自然のサイクルによって成立したのである。

しかし、中村が潜ったとき、すでに江戸前は瀕死の状態となっていた。汚染によって赤潮や青潮が頻繁に発生し、漁獲は最盛期の約半分にまで減少、廃業する漁業関係者も少なくなかったのである。何より工業地帯化にともない海岸部へのアクセスが極度に制限されたため、東京湾は人々の視界から遠のいてしまた。かつて生活に密着していたことも、忘れられ始めていたのである。

それゆえ中村の「江戸前の魚が食ってみたい」という動機は、暮らしの風景としてあった東京湾の現状を、この目で見てみたいという願望の言い換えだとも解釈できよう。その思いに駆られた中村がダイビングボイントとして選んだのが、最も汚染が進んでいた隅田川河口の埋立地、その後ウォーターフロントを代表する観光地となる“お台場”であった。

このとき中村は31歳。前年にフリーの水中カメラマンとして独立したばかりで、仕事が順調というわけではなかったという。そんな状況だからこそ、近場の海でできることを、好奇心に任せて試せることができたのだった。

 

湾岸の開発とへドロの生物

海の汚さは中村の想像を超えていた。初めて顔を浸けた途端、口の中に突き刺すような痛みが走り、「死ぬかもしれない」と飛び上がってしまった。海中に含まれる、多量の化学物質を無防備に吸い込んだのだろう。さらに、水深2メートルほどの浅い海底でさえ、舞い上がるヘドロに陽の光が遮られて視界がきかない。もし雨が降ればまったくの闇になる。それでも潜り続けようと思えたのは、予想外の生命の営みを目撃したからであった。

それは、この初めて東京湾に潜ったときのこと。生物が活動的になる5月の光景を、中村は今でもはっきり憶えている。ゴミの上に繁殖するムラサキイガイ、外来種のイッカククモガニのオスがメスを抑えこむような交尾の様子。なかでも、卵を守ろうとカメラを威嚇するイソガニの群れは、撮影後にフィルムで確認したとき、改めて深い感動を覚えたという。ライフワークとして東京湾に取り組むことを決めたのは、このときであった。

汚された東京湾に棲む、逞しくもグロテスクな生物たちに惹かれた中村には、もともと強い社会派としてのドキュメンタリー志向があった。それに独立する以前、7年間勤めた日本初の水中写真専門のプロダクションである水中造形センターに勤めていた時代にも、美しい海だけを撮っていたわけではなかった。

例えば旧日本海軍の戦艦のサルベージ(引き揚げ)作業、沖縄のサンゴを食い荒らすオニヒトデの駆除、あるいは人工魚礁の記録などといったハードな仕事もこなした。それらの仕事の合間には、海で生きる人々との付き合いも深めていた。この頃の写真で特筆すべきは、1976年7月17日の朝日新聞に掲載された、奥多摩湖に一家6人を乗せて沈んだ自家用車を撮影した一枚である。このスクープ写真が“社会派の水中写真家”として、中村の知名度を上げたのである。こうした仕事の積み重ねを通じ、海と人間との接点を見つめ、社会や文明というものを眺める大きな視点を育てていたのである。

独立して9年が経った1985年4月、中村の初のエッセイ『海も天才である』が情報センター出版局から出版されて話題を集めている。このユニークなタイトルを付けたのは、新進エッセイストとして注目を集めていた椎名誠であった。2人が初めて出会ったのは1982年で、その2年後のグレートバリアリーフでの取材を通じて親しくなった。この旅で椎名は中村の人柄に共感し、その視点や話の語り口にも感心している。そこでエッセイ集の出版を勧めて、当時、情報センター出版局局長の星山佳須也を紹介したのである。星山は無名だった椎名を発掘した目利きの若手編集者であった。

「海の知識も豊富だったが、それ以上に、確かなポリシーを持っている人だとわかった」

初対面の印象をそう語る星山は、中村の原稿を読んですぐに出版を決めた。だが、東京湾について書かれた部分はあえて外したという。興味深いが、エッセイのような断片的な語り口では、中村の構想は充分に理解されないだろう。東京圏以外に暮らす人々にもリアリティを持って読まれる本にしたい。そう考えた星山は、東京湾だけで一冊作ることを提案したのだった。

もちろん中村にとっては思いがけない話だった。このころ、彼は活躍の場を広げ、テレビのニュース番組や新聞連載などのレギュラーを持ち、雑誌では硬派なフォトルポも行なっている。ただし、そのなかにあって東京湾シリーズの発表は控えていた。テーマをじっくり育てていこうと考えていたのである。

そこで中村は出版を翌1986年の秋と決めると、1年余りをかけ、じっくりと東京湾の周囲を精力的に歩いてまわった。大学の研究者に会い、多くの漁師たちの置かれている現状を追った。さらに湾岸のマンションに住む主婦や、埋立地で働くダンプの運転手らからも話を聞いている。東京湾との多様な関わりを描くことで、江戸前という頃場に象徴される文化の現状を立体的に浮かび上がせるべく、取材に全精力を傾けたのだった。

 

イケイケの世の中に与えた衝撃

そして、1987年5月に『全・東京湾』が出版された。お台場の海で初めてイソガニの群れに出会ってから、まる10年が過ぎていた。

当初の出版予定から半年以上遅れたのは、海苔の養殖業者の取材に手間がかかったためだった。 加えて新宿副都心上空から、東京湾を俯瞰する空撮のタイミングがなかなか得られなかったからだという。それを辛抱強く待った中村の意図は、「都会の開発の波が勝つか、東京湾の生存力が勝つか」という、写真に添えられたキャプションに端的に現れている。これこそが本書のコンセプトなのである。

こうして出版された『全・東京湾』は新聞や雑誌の書評欄で大きく取り上げられ、環境をテーマにした、写真家によるノンフィクションとしては異例のヒットとなった。背景には、地球規模の気象変動が話題になり始め、人々の環境への意識が高まっていたこと。 また湾岸の再開発地区が「ウォーターフロント」と呼ばれ、おしゃれな流行のスポットとして注目を集めていたことがあった。なかでも1983年に浦安の埋立地に開園した、東京ディズニーランドというテーマパークの存在が大きかった。

こうした再開発の時代に“はまった”とはいえ、ヒットの最大の要因は、斬新で親しみやすい表現にあったはずである。本書の魅力について、社会派の映画監督である羽仁進の語った感想がおそらく本質を突いているように思える。

「今までのいろいろな環境破壊批判といったものと少し違って何か非常に楽天的、少し言葉は違うかもしれないけど生物的っていう感じがしたんです」

この言葉は、1988年の動物雑誌『アニマ』の動物写真特集号で中村と対談した際のものだ。さらに羽仁は、中村の写真こそまさに現代の動物写真だとも語っている。なぜなら「動物と人間をもう一度つなげようという視点」があるからだ。

この時代、動物写真の表現はひとつの転機を迎えていた。生態の観察だけではなく、人間を含めた自然環境をテーマに据える、より広い視野を持った写真家たちが出現していたのである。星野道夫や今森光彦、あるいは岩合光昭らがそうで、中村の仕事もこうした新しい表現に位置づけられるのである。

この『全・東京湾』のヒットを受け、中村は4か月後に写真集『海中顔面博覧会』やはり情報センター出版局から出版。こちらは海の生物の正面を、至近距離からとらえた写真で構成されている。このユニークな撮り方は、視界のきかない東京湾での撮影で身についたスタイルだった。翌年、中村はこの2冊で示した新しい表現性が評価され、木村伊兵衛写真賞を受賞している。

本書の発表後、1990年代以降も東京湾の再開発はさらに進められた。千葉の幕張や横浜のみなとみらい地区、そしてお台場の臨海副都心。かつてのヘドロの海にはいまやコンサートホールやショッピングゾーンが点在し、定番の観光スポットに変貌している。ただし、開発の前提として、環境評価はかなり厳しくなっている。そのため東京湾の水質にも若干の改善があったが、江戸前の魚は依然として高嶺の花であることに変わりはない。

中村は「開発がすべて悪いわけではない」と言う。問題はそのバランスなのだと。その主張は『全・東京湾』から変わっていない。本書が世代を超えて読み継がれているのは、いつの時代も海とともに人は生きていける、そんなおおらかな希望を提示しているからであるに違いない。

中村往夫(なかむら・いくお)

1945年秋田県生まれ。秋田市立高等学校(現・秋田県立秋田中央高等学校)卒業。1965年から独学で水中写真を始める。その後水中造形センターを経て1976年に独立。翌年から東京湾での取材を開始。このほか全国の伝統漁法、沖縄のサンゴ礁の被害、諌早湾の干拓問題、奥尻島のルポなど、海と人をめぐるテーマを撮影。著書多数。木村伊兵衛写真賞、土門拳賞、講談社出版文化賞、日本写真協会年度賞など受賞多数。

参考文献

藤崎童士『半魚人伝―水中写真家・中村征夫のこと』(三五館 2010年)
東京都写真美術館編『中村征夫写真展海中2万7000時間の旅』図録
『週刊現代』(講談社) 1987年7月4日号「へドロの海・東京湾の生物を撮リ続ける 売れっ子写真家の〝独学人生″」
『アニマ』 (平凡社) 1988年7月号 「巻頭インタビュー へドロの海に 〝いのち″を撮る」

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文・写真評論家 鳥原学
NPI講師。1965年大阪府生まれ。近畿大学卒業。フリーの執筆者・写真評論家。写真雑誌や美術史に寄稿するほか、ワークショップや展示の企画などを手掛ける。2017年日本写真協会学芸賞受賞。著書に『時代を写した写真家100人の肖像』、『写真のなかの「わたし」:ポートレイトの歴史を読む』、『日本写真史』など多数。

鳥原学 時代を写した写真家100人の肖像 上・下巻(玄光社/定価2500円+税)より

 

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