【写真学校教師のひとりごと】vol.38 清野健人について

わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。

そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。
その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。

これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。


久しぶりに清野健人に会って驚いた。
学生時代の清野は中肉中背というよりも、ちょっと細いイメージだったが、今はゆったりとした感じで、なかなか好感がもてる風体になっている。
なにも知らないで会うと、あの清野だと気がつかないのではないかと思ってしまいそうな変わり様だ。
太いもみあげと黒々としたあご髭、そして学生時代からは30キロ増えたという体躯。
別人のごとしである。

かれはかつて猿を撮っていた。
猿を撮るといっても、猿はどこにでもいるというものではない。
猿は集団で生活する生き物だ。特定の場所に出かけて行かなければ撮ることはできない。
清野が撮ろうと思った猿は、長野県山ノ内町にある地獄谷野猿公苑一帯に住む野生のニホンザルだ。
ここの猿は寒い冬には体を温めるために、人間のように天然の温泉に浸かるので、その様子を見に日本だけではなく海外からも人が集まってくる。
それを撮って、かれは2020年にニコンサロンで「地獄谷の日本猿」という写真展をやった。

地獄谷へ度々でかけてゆき、ひたすら猿を追いかけて撮った写真群だった。
いまかれは鹿を撮っている。

今回は撮影の度にわざわざ家から通ったりしないで、その撮影地、地獄谷の近くに住んでしまえばいいのではないだろうか。
そこでなんらかの仕事なりバイトの口を見つければいい。
いちいち出かけていく手間も費用も省けると思うのだが。
そこに住むことによって、余裕をもってじっくりと鹿を観察することができるのではないか。
落ち着いて観察できる、というのが肝心なのだが、受け入れられるかな?
かれの鹿の写真は、猿の写真の頃に比べると情感がでてきた。

人間は環境を変えることによって、今までは見えなかったものが見えてきたり、感じるということが多々あるものだ。
以前は目の前にあるものをひたすら撮っていたのだが、鹿を目にして何かを感じ、それを映像化しようという意志というか、想いを感じる。
写真に想いを込めることにいたったようだ。
猿より鹿は進歩すると思うよ、きっと。

清野の精神、考え方はなかなか感受性に富んでいて、もともと創作には向いているのだ。
もっと自信を持って考え、自分が感じたことをそのままストレートに表現すればいいと思う。
そうすることによって、より清野らしい写真を撮ることができるのだ。
表面的な言葉ではなく、もっとデリケートなものごとに対する心のかまえや態度は、人間よりもこういった動物には伝わりやすいので、清野は動物撮影に向いているのではないだろうか。

ニコンでの展示を経験し、自分のしてきたことをある程度肯定され、自分の考えを少し前に進めることができたことは、かれにとって大きな進歩だったろう。
動物に対して様々な考えが、清野には多くある筈だ。

そんなことを考えながら、これからもシャッターを押してみよう。
限られたことにせよ、動物との意思の疎通は清野だからこそできているのだ。

もうひと頑張りすることで次の新しい人生が見えてくると思う。

菊池東太


1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。

著作
ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社)
ジェロニモ追跡(草思社)
大地とともに(小峰書店)
パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社)
二千日回峰行(佼成出版社)
ほか

個展
1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース)
1987年 二千日回峰行 (そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ)
2004年 足尾 (ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ)
2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ)
2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ)
2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン)
ほか

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