【写真学校教師のひとりごと】vol.19 久保木英紀について③
わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。
そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。
その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。
これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。
▼【写真学校教師のひとりごと】 久保木英紀について
以前ここで発表したように、久保木英紀は写真展に応募した。
かれは30年近く前にわたしのクラスを卒業した古株の一人である。しかもその後、就職しサラリーマン生活を続けている。
そのころ、一度だけギャラリーに応募して不採用だったことがある。そしてその後は写真とはなれていく。
以降は結婚し、三児をもうけ平穏に暮らしている。
数年まえに新宿区の施設を使い、わたしが写真教室をやっていた時にひょっこり現れ、今回とは違ったテーマを撮ったりはしたこともあったが、それ以降はおとなしくやっているだろうと思っていた。
そして最近、メーカー系ギャラリーの写真展に応募したのだ。
まあとにかく大きなブランクがあるので、正直言って一回ぐらいは落ちるだろうと思っていた。
それがかれ久保木はそのブランクをものともせず、見事通してしまったのだ。ニコンサロンを。
久保木英紀、初デビューだ!
おめでとう、としかいう言葉を持たない。素晴らしい!
愛する子供たちは「よかった、おめでとう!」といってくれたか?
子育てをしてきてよかったな!これからはいままで以上にいい親父になれそうだな!
失敗したことも胸を張って言えるじゃない!
だからこそ、成功を喜べるんじゃない!
ところで来年、2025年の6月17日から30日だったな、展示は。行くよ!
いままでやってきたことを、やっと第三者が認めてくれたんだ。
自信を持ちすぎてはいけないけど、肯定されたんだから、いままでよりは少し自信を持って前に進めるんじゃないか。
いまは自分の思ったまま感じたままに撮ることだ。
ある程度確信をもって撮れるはずだから、身につくと思う。
仕事には直接は関係ないかもしれないけれど、自分の生き様としてやってみることだ。
子供が父親のすることを見ているぞ。興味津々で。
写真展のタイトルはどうするのだろう?
ホーム・タウン、一般論ではなく、個人的なものだからマイ・ホーム・タウン? それとも?
E・プレスリーの唄にそんなのなかったっけ?
より素晴らしい展示にするために、今できることをとことん努力するしかないね。
いままで生きてきて知った人、様々な人々にかたっぱしから展覧会のDMやメールを送るといいよ。なるだけ大勢に。
これによって知り合いに、もしくは親密になるかもしれない可能性がある人たちに、知らせることだと思う。
もしかしたら、きっと新しい人間関係が築けるかもしれない。新しい世界が開けるかも。
それらがすべて素晴らしいものになるとは限らないけど、今までは見ることができなかった世界かもしれない。
でもそこで少しでも素晴らしい、今まで以上の久保木の存在を見せつけることが肝要だと思う。
この展示は久保木にとって一つの大きなチャンスだと思います。とことん生かしてください。
菊池東太
1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。
著作
ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社)
ジェロニモ追跡(草思社)
大地とともに(小峰書店)
パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社)
二千日回峰行(佼成出版社)
ほか
個展
1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース)
1987年 二千日回峰行 (そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ)
2004年 足尾 (ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ)
2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ)
2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ)
2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン)
ほか
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