クリエイティブ圏外漢のクリエイティビティを感じる何か vol.53
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
この記事が出るころにはW杯の優勝チームは決まっている頃だろうか?
日本代表は残念だったが、今年は近年稀に見るくらいワインでいうとグレートビンテージにあたるような各国役者がそろったW杯だった。当然音楽の世界にも同時代に同じ場所で才能が集まるようなグレートビンテージのような時代がある。
昨年PicoN!でも取り上げた惜しくも若くして亡くなったディアンジェロが結成したソウルクエリアンズはまさしくネオソウルにおけるグレートビンテージを象徴する存在であり、今回はそのネオソウルにおけるグレートビンテージの主人公の一人をご紹介したい。
まずネオソウルという言葉を知らない人のために少し説明する。ネオソウルは1990年代後半から2000年代にかけて、クラシックなソウル・ファンク・R&Bの要素を現代的な感覚で再解釈した音楽のことだ。ディアンジェロの『Voodoo』(2000年)、ローリン・ヒルの『The Miseducation of Lauryn Hill』(1998年)、そして今回この記事で取り上げる人物のデビュー作『Baduizm』(1997年)が、その時代を代表する3枚として必ず語られる。その3枚のうちの1枚を作った人間が、7月4日、東京・有明に来た。今回の主人公Erykah Badu(エリカ・バドゥ)だ。
エリカ・バドゥとは何者か
1971年生まれ、テキサス州ダラス出身。現在55歳。
1997年のデビュー作『Baduizm』で彗星のごとく登場して以来、ヒップホップ・R&B・ジャズ・ソウルを融合させた独自のスタイルでシーンに君臨し続けている。これまでに5度のグラミー賞を受賞し、2025年の「ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック・アワード」ではアイコン賞を受賞した。
「ネオソウルの女王」という肩書きは正確ではあるが、少し狭い。エリカ・バドゥはジャンルの枠を超えた存在だ。アンドレ3000と交際し、コモンと交際し、ディアンジェロと交際した、という恋愛遍歴で語られることもあるが(それぞれの楽曲に互いへの影響が残されているという意味で音楽史的にも興味深いが)、そういう文脈だけで語るには音楽的な射程が広すぎる。
彼女の音楽を一言で言うなら「時間の流れ方が違う」だと思う。
他のアーティストが4分の楽曲を作るとき、エリカ・バドゥは同じ4分でも2倍の時間が流れているような音を作る。それはテンポが遅いという意味ではなく、音のひとつひとつが持つ質量が違う、という感覚だ。ジャズのフレーズ、ヒップホップのビート、ゴスペルのコーラス、そういったものが同居しながら、全体として「エリカ・バドゥの音」以外の何ものでもない空間が生まれる。
ホセ・ジェイムズは「ここ25年のジャズにとって最重要人物」と表現した。ジャズの文脈でそう言われるR&Bシンガーというのは、まずいない。
デビュー曲「On & On」を聴いたことがない人は今すぐ聴いてほしい。
この曲がグラミー賞「Best Female R&B Vocal Performance」を受賞したのが1998年。それから28年が経過した今も、この音は少しも古びていない。古びていないというより、最初から時代に属していなかった、という方が正確かもしれない。
『Mama’s Gun』25周年という文脈
エリカ・バドゥの2ndアルバム『Mama’s Gun』は2000年にリリースされた。今年で25周年にあたる。
2025年後半にこのアルバムの25周年ツアーを行っており、「Didn’t Cha Know」「On & On」など収録曲をほぼ曲順通りに演奏したという。
ディアンジェロの『Voodoo』と同年にリリースされたこのアルバムは、ソウルクエリアンズ(クエストラヴ、ジェイ・ディラ、コモンら)による上質で生々しいセッションと巧みなプロダクション、そしてエリカ・バドゥのパーソナリティとフェミニズムが色濃く刻まれたリリックが特徴だ。リリースから25年以上が経過した今も、多くのミュージシャンの創作意欲を掻き立て続けている。
アルケミストとの新作「Next To You」
もうひとつ重要なトピックがある。
エリカ・バドゥはヒップホップ界の鬼才プロデューサー、ジ・アルケミストとアルバムを共同制作中だ。先行シングル「Next To You」はすでにリリースされており、アルケミストがプロデュースしたモブ・ディープの楽曲をサンプリングした、ローファイでドープな仕上がりになっている。
この曲のリリースにあたり彼女自身が自主制作、作詞、作曲、アレンジ、プロデュースまで手がけており、アルケミストはビートのみの提供という形になっている。エリカ・バドゥの声とアルケミストのビートという組み合わせは、ネオソウルとアンダーグラウンドヒップホップの接続という意味で、2020年代の音楽的な文脈においてかなり刺激的な出来事だ。フルアルバムがどうなるのか、楽しみに待つしかない。
SOUL CAMP 2026とは何か
「SOUL CAMP」というイベントをご存知だろうか。「真っ昼間から いいキモチ。」をコンセプトに、ブラックミュージック界のレジェンドたちが集結してきた都市型フェスだ。過去の出演者はローリン・ヒル、コモン、ジル・スコット、ネリー、DJプレミア、DJ・ジャジー・ジェフ、デ・ラ・ソウル、ボビー・ブラウン、ベイビーフェイスなど、この名前を見るだけで「え、これ全部同じイベントに出てたの」となるラインナップが続く。
そのSOUL CAMPが7年ぶりに復活したのが、今回の「SOUL CAMP 2026」だ。
2026年7月4日(土)、東京・SGCホール有明。
ヘッドライナーはエリカ・バドゥ。しかも今回の有明公演は「日本公演で唯一のフルバンド編成」とアナウンスされていた。同じ来日期間中のビルボードライブ公演(横浜・東京・大阪)はRC・ウィリアムズとのデュオ編成だ。つまりSOUL CAMPでしか観られないエリカ・バドゥがある、という状況だった。
当日、会場の外は開場直前まで入場待ちの大きな列ができていた。この日を心待ちにしていた、というより「この日のために生きてきた」という体温の人間が大勢集まっていたように見えた。
DJ YANATAKE × MC YOU-KID:助走という名の本気
定刻の14時にステージに姿を現したのは、本フェスのオープニングアクトを務めたDJ YANATAKEとMC YOU-KIDだ。
DJ YANATAKEはビースティ・ボーイズのマイクDが絶賛したことで知られるDJで、ヒップホップの「正しい聴き方」を日本に伝えてきた存在のひとりだ。MC YOU-KIDのサイドMCとしての「楽しんでますか?」「Let’s Go」という煽り声とともに、90年代〜00年代のヒップホップクラシックを中心とした選曲でじわじわと会場を温めていった。
「オープニングアクト」という言葉の響きはどこか軽く聞こえるが、このセットはそういうものではなかった。本番が始まる前に会場全体のグルーヴを正しい温度に持っていく、という仕事を彼らは完璧にやってのけた。
DJ KOCO aka SHIMOKITA:テクニックという名の愛
2番手として登場したDJ KOCO aka SHIMOKITAは、ステージに姿を現した直後からエンジン全開だった。
DJ KOCO aka SHIMOKITAは、唯一無二の7インチ・レコード・オンリーのプレイスタイルで知られる日本を代表するDJのひとりだ。7インチのみというのは単なるスタイルではなく、選曲の射程を「ものが存在する音楽」に限定するということでもある。
Wu-Tang Clan「C.R.E.A.M.」、JAY-Z「Empire State Of Mind」といったヒップホップの往年の名曲から、ダンスクラシック、ソウル、そしてアニタ・ベイカー「Sweet Love」まで縦横無尽にミックスした。バックスクラッチのような技術的な見せ技も入れ込みながら、観客を踊らせるグルーヴ感はしっかりキープする。テクニックと感情が同時に存在しているプレイだった。
そしてDJセットのラストを締めくくったのが、小金沢昇司「ありがとう…感謝」というまさかのネタ。これを最後に持ってくるセンスが、DJ KOCO aka SHIMOKITAという人間の本質を示していると思う。「上手いDJ」ではなく「最高にエンターテインメントなDJ」として終わったセットだった。
Knxwledge:東京在住のビートメイカーが見せた顔
続いて登場したのはKnxwledgeだ。
LAのビートシーンで頭角を現したKnxwledgeは、2015年にStones Throwからデビューアルバム『Hud Dreems』をリリースした。同年、ケンドリック・ラマーのアルバム『To Pimp A Butterfly』収録曲「Momma」をプロデュースし、グラミー賞「ベスト・ラップ・アルバム」を受賞している。現在は東京を拠点としており、今回は地元からの参加という形になった。
またアンダーソン・パークとのユニット、NxWorries(ノーウォーリーズ)としても活動しており、2024年発表の『Why Lawd?』が2025年グラミー賞「ベスト・プログレッシブR&Bアルバム」を受賞した。
この日のDJセットの前半は、ビートメイカーらしく太いブレイクビーツを鳴らすヒップホップや、ディアンジェロ「The Root」といったネオソウルをセンスよくミックス。さらに、シティポップ経由のグルーヴィーなネオソウルで日本語の「美味しそう」というワードが歌詞に登場するDevin Morrisonの「OISHISO」も投下した。日本在住のビートメイカーとしてのユーモアがにじんでいた。
後半は趣向を変え、よりダンサブルなハウスへと選曲をシフト。さらに世界的ハウスダンサーのMIYUが客演するというサプライズも用意されており、会場のテンションはさらに上がった。ディレイやリバーブを駆使したトリッキーなプレイはビートライブにも通じる実験性があり、DJというフォーマットを使いながらもKnxwledgeらしさが随所に顔を出していた。
The Pharcyde:ベテランが持つ、観客との引力
続いて、今回のラインナップにおける大きな目玉のひとつ、The Pharcydeが登場した。
The Pharcydeはロサンゼルス出身のヒップホップ・グループで、1992年の1stアルバム『Bizarre Ride II the Pharcyde』でデビューした。キャッチーなビートとウィットに富むフロウで人気を獲得し、90年代のLAヒップホップの中でもNWA的なギャングスタラップとは一線を画す、どこかユーモラスで人間臭い音楽を作ってきた。
まずこれを聴いてほしい。
フルートのサンプルが入ったあのイントロを聴いた瞬間に「ああ、この音だ」となる人間が世界中にいる。それだけの曲だ。1993年の楽曲が今も現役で人を動かしていることの意味は、小さくない。
バックDJのDJ Cee BrownがプレイするHouse of Pain「Jump Around」など数曲のヒップホップクラシックの後に、Fatlip、Slimkid3、Imaniの3人のMCが姿を現した。今回はIMANI、SLIMKID3、FATLIPという3人のオリジナルメンバーが揃っての来日で、前回2019年以来7年ぶりの登場だ。
「Ya Mama」「Oh Shit」「Passin’ Me By」といった代表曲でのマイクリレーに限らず、時にステージ上で踊ったり、観客をこれでもかと煽ったりと、3人が所狭しとステージを動き回った。ベテランらしいライブの盛り上げ方というのは要するに「観客を自分たちの側に引っ張り込む力」のことで、この3人はその力を20年以上かけて鍛え上げてきた。最後はステージを降りて観客と気さくに交流し、客席を背に記念撮影するというサービス精神も見せた。会場はここで一度、完全に一体感に包まれた。
そして、もちろんある年齢でヒップホップのイベントに行っていた皆様からしたらド・クラシックすぎるこちらもやりました。
Erykah Badu:女王の90分
ここまでの4組の熱演によって、会場にはすでに「いいキモチ」な空気が十分に満ちていた。しかしその空気を最大限まで増幅させたのは、大トリとして降臨したErykah Baduだった。
バンドを従えた今回のステージは、エリカ・バドゥ自らがアナログシンセの太い音をSE的に鳴らすところからスタートした。
ライブセットの1曲目は、2000年リリースの『Mama’s Gun』収録曲「Green Eyes」。曲に合わせた緑の照明を浴びながら歌うその姿は神秘的ですらあり、ソウルフルな歌声に一気に飲み込まれたという。
「Green Eyes」は約10分に及ぶ大曲で、緊張と弛緩を繰り返しながら少しずつ別の場所に連れていかれるような構造になっている。会場にいた全員が、ここで「あ、これは普通のライブではない」と悟ったはずだ。
続いてデビューアルバム『Baduizm』から「Otherside of the Game」「On & On」「Appletree」といった名曲が披露された。(以下On&Onを再掲)
「On & On」は1997年のデビュー曲にして今も彼女の代名詞とも言える楽曲だが、卓越したバックバンドの演奏と重なり合うエリカ・バドゥの声は、声量もさることながら、声の張りや伸びが明らかに常人のそれとは違う。しかも28年前の楽曲がまったく色褪せない。色褪せないというより、最初から時代に属していなかったのだと、生で聴くとよりはっきりとわかる。
ライブの中盤では、サンプラーを自ら叩いてフィンガードラムを演奏するという時間が設けられた。これは彼女のライブの定番ではあるが、実際に目の前で見ると「このひとは何でもできる」という感覚に陥る。さらにこの日、急遽ドラマーの代演に抜擢された日本人ドラマー、Yukino Matsuuraとのセッションの時間もあり、日本のドラマーとの即興的なやりとりが生まれた。こういうサプライズが起きるのが、エリカ・バドゥのライブが毎回「今夜が最高の夜」になる理由のひとつだ。
ライブ終盤では、ネオソウルクラシックとして愛される「Bag Lady」が歌い上げられた。
この時、エリカ・バドゥは客席に降りて、ファンの間を歩きながら歌うというサービスを見せた。「Bag Lady」はもともと「荷物を抱えすぎた女性への手紙」のような内容の曲で、ライブで観客の間を歩きながら歌うことで、この曲が持つ「あなたに語りかけている」という感覚が何倍にも増幅される。
そして流麗なピアノメロディとグルーヴィーなベースラインの上でシルキーなエリカ・バドゥの歌声が広がる「Didn’t Cha Know」が届けられ、ここでライブ本編が終了した。
深々とお辞儀をしてステージを去る姿に、得も言われぬ「女王」の気品があった。
しかし、ここで終わらなかった。
「もっと欲しいか?」とMCが煽ったあと、まさかのアンコールがスタート。エリカ・バドゥのライブでは定番のアンコール曲「Tyrone」が披露された。
「Tyrone」はダメな男への別れの歌であり、ライブで演奏されるたびに会場が「そうだそうだ」という空気になる、種類の特殊な楽曲だ。この日の有明でもそれは起きた。全員が知っていて、全員が笑いながら、全員がエリカ・バドゥと一緒にいる、という90分の最後に相応しい締め方だった。
SOUL CAMPが証明したこと
ここ数年の夏フェスは大型化・効率化が進んでいる。タイムテーブルを追いかけ、SNSへ投稿し、できるだけ多くのアクトを「消費」する場所になっていく傾向がある。
SOUL CAMP 2026はそれとは別のことをやっていた。
DJ YANATAKEが会場を正しい温度に温め、DJ KOCO aka SHIMOKITAが7インチで会場の体温を上げ、Knxwledgeが東京在住のビートメイカーとして空間をチルに仕上げ、The Pharcydeが観客との一体感を作り、エリカ・バドゥが90分かけてその全員を別の場所に連れていった。
一日を通じて、リレーのバトンのように感情がつながっていた。これは「ラインナップの良さ」だけでは実現できない。イベントの設計の問題だ。
ディアンジェロが亡くなった翌年に、55歳のエリカ・バドゥが有明でフルバンドを率いて歌った、という事実は、チケット代に含まれていないものとして受け取るべきだと思う。
このSOUL CAMPについて、現時点では次回開催はまだ発表されていない。でも「また来年も来てほしい」と思える音楽の場所が、東京にあったことを、記録しておきたかった。
↓PicoN!アプリインストールはこちら