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これで指示出しがスムーズに!文字校正と校正記号のきほん|広報・PR担当者・ノンデザイナーに読んでほしいデザインのきほんvol.6

こんにちは!PicoN!編集部イチムラです。 広報・PR担当になったけど、思うようにデザインができない!外部デザイナーに伝えたい事が伝えられない!と悩んでいる方へ役立つヒントをお届けしていきます。 [word_balloon id="unset" src="" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" name="編集部 イチムラ" avatar_border="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"] 今回は、これから学校案内や会社案内などのパンフレット制作を控えている方にも、ぜひ知っておいてほしい「校正」のお話です。デザイナーから制作物の校正紙が提出されたら正しい情報になっているかを確認しますよね。丁寧に指示を書き込みたくても紙面に書くスペースも限られているし、、、と困った事はありませんか?そんな修正指示を、デザイナーに分かりやすく伝えるために使えるのが校正記号です。今回は、実際の制作現場でよく使うものを中心に、校正の基本を紹介していきます![/word_balloon] そもそも「校正」って何をするの? 校正と聞くと、「誤字脱字を探す作業」というイメージがあるかもしれません。もちろん、それも大事。でも、校正で確認するところはそれだけではありません。 原稿どおりに文字が入っているか。数字や日付は合っているか。固有名詞は間違っていないか。文章の表記が統一されているか。 などなど確認事項はたくさん。 そして、デザインを進める中で、文字が抜けたり、入れ替わったりしていないか。つまり校正とは、「これ、このまま世に出して大丈夫?」を確認する作業。です。 パンフレットやチラシは、一度印刷してしまうと、間違いを見つけても簡単には直せません。だからこそ、印刷する前の校正がとても大切なんです。 誤植を発見した後は大変。 修正するには、刷り直しや、訂正シールを貼ったりといった作業が発生します。刷り直しには、お金がかなりかかってきますし、訂正シールを貼るにも、相当な部数のものだと、労力も人件費もかかってきます、、、。とにかく大変です。(どちらも経験済みです泣) 校正紙が届いたらそこから何をしたら良いかを説明していきます。 校正に赤字を入れる(赤入れ) 校正は紙の状態で 制作物を依頼する場合、掲載するテキストと画像データを制作会社にお渡しします。その内容をデザインに落とし込み、最初に提出される校正紙を初校(しょこう)と言います。コロナ禍を経た今、校正紙がデータ提出になったというところも多いのではないでしょうか。画面上でチェックする人もいるかと思いますが、経験上、修正箇所を見過ごしてしまう事が多く、あまりオススメはできません。少し手間ですが、プリントアウトして紙の状態でチェックしましょう。修正箇所をすぐ書き込めるのもメリットです。 赤のボールペンで、「分かりやすく」書き込む 校正の際に必要になるものは「赤のボールペン」 黒だと校正紙の文字と同化してしまうので赤色で修正を入れるのが一般的です。 対面で直接デザイナーさんに修正指示を伝えらないケースもありますので、修正指示は、「誰が見ても分かりやすいように」を心がけて丁寧な字で書いていきましょう。 殴り書きで書いてしまったが為に、デザイナーさんが修正指示を認識できず、意図しない修正が上がってしまう恐れがあり、注意です。 原稿と見比べて 提供した文字データや画像データが意図した場所に入っているかをチェックしていきます。 ☑️チェックポイント ①誤字・脱字:漢字の変換ミスや抜けも注意 ②表記ゆれの統一:同じ言葉の表記の統一 ③数字・記号の統一:全角や半角も統一 ④専門用語やコンテスト名などの固有名詞:正しい単語か調べてチェックしましょう 指示通りに入っており、これ以上の修正や変更がなく、印刷工程に進んでもよい状態であれば、校正紙(複数枚ある場合は校正紙の一番先頭のページ)に校了(こうりょう)と記載し、先方に戻します。 表記ゆれの統一には、チェックリストを作っておくと便利! 毎年作っている冊子であれば、昨年度のチェックリストを元に、追加原稿を送る段階で、リストに添って、原稿を修正しておくと、文字校正の時にとても楽になります! 校正作業の進行に対する指示 校了以外にも、校正作業を進めるにあたって使われる用語がいくつかあります。ここで紹介する用語は、原則、校正紙の先頭ページに記入する事で進行の指示をします。 要再校 初校の次に、もう一度、校正してほしい時に、校正紙の先頭ページに記入します。 要三校 再校の次に、校正してほしい時に、校正紙の先頭ページに記入します。 要念校 印刷や出版の現場で、校了(印刷OK)を出す直前に「念のため」もう一度行う最終確認の校正です。 責了 担当者が最終確認を行わず、制作側やの責任で修正を完了させて校了(印刷・進行)にすることを指します。 軽微な修正であれば責了にしてしまうこともあります。 校了 印刷物などの原稿に対する校正が完了し、これ以上の修正や変更がなく、印刷工程に進んでもよい状態を指します。 ここまできたら、いよいよ印刷に進みます! 修正指示が長くなってしまう場合は 長文になるような差し替えは、Wordなどのデータにまとめ、「◯◯◯.docx参照」と記載して、校正紙とともにお戻ししましょう。 よく使う校正記号 私が校正でよく使う校正記号をご紹介します。ごく一部にはなりますが、これを知っておくだけでも十分校正できるので、ぜひ覚えて使ってみてくださいね。デザイナーとしても知っておいた方が良い知識かと思います。特に冊子ものでよく使うので、将来、エディトリアルデザインの業界で働きたい人は覚えておきましょう。   文字の削除   文字を変更   改行 小書き 修正を取りやめる 全てのページがチェックし終わったら 先ほどご紹介した進行に対する指示を書き込んで制作会社にお戻しします。ページものだと、校正のチェックに時間がかかるので、戻しの日に間に合うように余裕を持って作業を進めましょう。上長へのチェックも忘れずに! スキャンで戻す際は、原稿が切れていないか注意! データでお戻しする際、校正紙をスキャンしてデータ化します。その時に注意してほしいのが、指示の書いたところが切れてしまう事。 スキャンしたものは制作会社に戻す前に一度確認して全部の赤字修正が入っているかどうかを見てみてくださいね。       [word_balloon id="unset" src="" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" name="編集部 イチムラ" avatar_border="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]色のお話は以上です!次回は、ちゃんと知っておきたい画像のお話をお送りします。[/word_balloon] 文 : PicoN!編集部 市村   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

デザイン

制作のヒントがここに!-クリエイティブを学ぶ学生にオススメ展示情報3選- vol.7

芸術の秋が始まる9月。興味がそそられる展示がたくさん始まりますが、その中から素材やデザイン、街そのものまで、さまざまな視点から「表現」を楽しめる展示をご紹介します! 【東京・銀座】清川あさみ&名和晃平「Invisible Garden」 [caption id="attachment_29992" align="aligncenter" width="750"] 引用元:POLA MUSEUM ANNEX[/caption] <期 間>2026/9/16/水~11/8/日 <時 間>11:00~19:00 ※11/6~8は10:00から ※会期中無休 <会 場>POLA MUSEUM ANNEX <入場料>無料 <公式HP>POLA MUSEUM ANNEX 清川あさみと名和晃平の初めての二人展! ポーラ ミュージアム アネックスでは、美術家の清川あさみと彫刻家の名和晃平による二人展「Invisible Garden」を2026年9月16日(水)から11月8日(日)の会期で開催します。 「Invisible Garden」は、清川の著書『みえないにわ - Invisible Garden』の刊行をきっかけに構想された展覧会です。情報が絶えず流動し、現実と仮想、自然と人工の境界をもはや定義できない現代。本展は、滴や胞子、微生物や動植物、人の記憶や時間、夢、想像力といった有形無形のさまざまなものたちが息づく風景としての「にわ」を描き出します。 清川と名和による初めての二人展となる今回、展示空間ではそれぞれの作品が個々の存在感を保ちつつ呼応することで、有機的な全体がかたちづくられます。清川の刺繍によって紡がれる物語や、名和のセルによって被覆・変換されたイメージ——白で統一された空間のなかでそれらの色彩と輪郭は静かに浮かび上がり、ゆるやかに結びつきながら、一つの「にわ」が姿をあらわします。 この中心をなすのが、二人の共作となる全幅約9メートルの大型新作《PixCell-Our New World》です。風景写真や生成AI画像の断片を用いて清川が構成した画面(Our New World)を、名和が透明のセルによって覆うことで、イメージは分割と統合を繰り返しながらおぼろげに揺らめきます。それはまさしく、両者の表現が交差するなかで現れた新たな風景といえるでしょう。さらに会場では、名和の代表作「PixCell」の近年の展開のひとつである「PixCell-Random」や清川の「Serendipity」など、新作も併せて展示します。 鑑賞者は空間を歩きながら、断片的なイメージを自身の記憶や感覚と重ね合わせ、そこに潜む生命の気配を拾い集めていきます。「にわ」とは完成された風景ではなく、世界と人々が出会うなかで生起する感覚的な場です。「Invisible Garden」は、作品と空間の共鳴を通じて、鑑賞者一人ひとりの心にそれぞれ異なる「みえないにわ」をゆっくりと育みます。 なお、会期中は3階ギャラリーに加え、1階店舗「POLA GINZA」でも作品を展示。植物や滴をモチーフとした作品たちによって構成されるインスタレーションが展開されます。清川の書籍を起点に広がる世界が二つの空間をつなぎ、鑑賞者はその間を散策するようにして、一歩一歩、新たな発見や対話に巡り合うことでしょう。 (引用元:POLA MUSEUM ANNEX) ※インスタレーション……室内や屋外の特定の空間にオブジェ、映像、光、音などを配置し、場所や空間全体を作品として体感させる現代美術の表現手法 【東京・銀座】ギンザ・グラフィック・ギャラリー第416回企画展 田中義久 ARCHIVE/ARCHIVE [caption id="attachment_29993" align="aligncenter" width="540"] 引用元:ギンザ・グラフィック・ギャラリー[/caption] <期 間>2026/9/4/金~10/21/水 <休館日>日曜・祝日 <時 間>11:00-19:00 <会 場>ギンザ・グラフィック・ギャラリー <入場料>無料 <公式HP>ギンザ・グラフィック・ギャラリー アーカイブとは、過去を閉じ込めるための場所ではなく、未来に向けて開かれるための仕組み グラフィックデザインは、社会のなかで使われ、流通し、時に役目を終えながらも、その時代の視覚文化や技術、思想をとどめる重要な資料となります。ポスター、書籍、カタログ、サイン、VI、印刷物、制作過程の記録など、それらは単なる成果物ではなく、社会とデザインの関係を読み解くための手がかりであり、未来へ受け渡されるべき文化的な記憶でもあります。 ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)は、1986年の開設以来、展覧会や出版、レクチャーを通して、国内外のグラフィックデザインの現在と歴史を紹介してきました。また、ギャラリーを主宰するDNP文化振興財団の活動は、グラフィックデザインを展示するだけでなく、記録し、保存し、次世代へつなぐための重要な基盤を築くことも使命としています。 本展では、田中義久がこれまで手がけてきた仕事を振り返りながら、クライアントとの継続的な協働を通して取り組んできた視覚言語のあり方を紹介するとともに、一過性にとどまらないデザインの形式そのものに目を向けます。会場では、DNP文化振興財団の所蔵するコレクションをはじめ、企業や大学機関に保存されたデザイン資料を手がかりに、デザインの過程や印刷物がどのように保存され、分類され、展示されていくのかを検証します。その一環として、田中義久が継続して研究してきた和紙を用いた保存容器や展示什器、資料を包むための構造を新たに制作します。アーカイブを支える箱、紙、台紙、分類、展示台といった、通常は表に現れにくい要素を、グラフィックデザインの実践として捉え直します。 アーカイブとは、過去を閉じ込めるための場所ではなく、未来に向けて開かれるための仕組みでもあります。本展は、グラフィックデザインの成果を展示するだけでなく、それらを残し、受け渡していく行為が、次の時代にどのような文化的価値をもたらすのかを考える試みです。 (引用元:ギンザ・グラフィック・ギャラリー) ※VI(Visual identity)……企業やブランドの理念・価値観を視覚的なデザインとして体系化し、世の中に一貫して伝えるための仕組み 【東京・渋谷】路上、お邪魔ですか? [caption id="attachment_29994" align="aligncenter" width="525"] 引用元:渋谷区立松濤美術館[/caption] <期 間>2026/9/19/土~11/23/月・祝 <休館日>月曜日(9月21日、10月12日、11月23日は開館)、9月24日(木)、10月13日(火)、11月4日(水) <時 間>10:00~17:30(最終入場17:00まで) <会 場>渋谷区立松濤美術館 <入館料>一般1000円(800円)/大学生800円(640円)/高校生・60歳以上500円(400円)/小中学生100円(80円) ※( )内は団体10名以上及び渋谷区民の入館料 ※土・日曜日及び祝・休日は小中学生無料 ※毎週金曜日は渋谷区民無料 ※障がい者及び付き添いの方1名は無料 ※リピーター割引あり。観覧日翌日以降の本展会期中、有料の入館券の半券と引き換えに、通常料金から2割引でご入館できます。1枚の入館券につき、1回まで有効です。 <公式HP>渋谷区立松濤美術館 路上は誰のものか? かつて日本には、公界(くがい)と呼ばれる一定の制度や権力の及ばない自由な空間が存在していました。寺社の門前や宿場町に見られた領域は、移動する人々や芸能を受け入れ、文化や交流を育む装置でもありました。 現代における「路上」は、そうした歴史的空間と完全に重なる訳ではありませんが、所有や統治の枠組みが曖昧で、ときに制度へのレジスタンスによって、路上に自由を見出そうとしてきました。一方で路上は、単に自由や解放の象徴だけではありません。排除の論理によって居心地の悪さや不安定さも抱えています。本展では、路上をキーワードに紹介可能な作品や歴史的なできごと、さらには言説をふくめ、現代においてますます複雑になる公共性がもつ課題を考えます。 本展の開催は、1986年に発足した「路上観察学会」の創設40周年も契機としています。赤瀬川原平や藤森照信らによって結成された路上観察学会は、意図をもって生み出された芸術作品ではなく、都市と自然とが意図せず生み出した状況を、可笑しみをもって取り上げる「目」を、メディアを通して共有した活動です。そこには路上がもつ豊かさを伝えるとともに、開発によって均質化した都市への批判も込められていました。 「彼女が邪魔だった」― これは、2020年に渋谷で起きた路上生活者殺害事件で、加害者が発した言葉です。路上は、所有が曖昧であるがゆえに公序が強調され、時に他者の主観的ルールが衝突する息苦しさを孕んだ空間でもあります。2020年の事件は、公共性の意味を取り違えたときに起こりうる取り返しのつかない暴力を私たちに突きつけました。 それでも、この「自由」と「邪魔」が共存する路上においてこそ、批評的な文化実践が数多く立ち上がってきたのです。本展は、現代美術から歴史的資料、公園の遊具や銭湯、大道芸までをも紹介しながら、路上は誰のものか?をキーワードに、過去の実践から現代の都市に対する批評的なアプローチまでをたどりながら路上の公共性を探ります。批評とユーモアの喧騒に溢れた、路上芸術に出会いにきてください。 (引用元:渋谷区立松濤美術館HP)   9月からは展示以外にも、東京藝術大学の学祭(9/4~6)や前橋国際芸術祭2026(9/19~12/20)、ムーンアートナイト下北沢(9/18~10/4)など各地で芸術祭が開催されます。芸術の秋を楽しみましょう! PicoN!編集部 武田 ↓PicoN!アプリインストールはこちら

アート

【連載】時代を写した写真家100人の肖像 No.51 名作写真とその時代 常盤とよ子『危険な毒花』(1957年 三笠書房) 鳥原学

常盤とよ子は、戦後の写真史を語る上で、欠くことができない女性の一人である。1950年代に発表した「働く女性」シリーズで注目され、なかでも“赤線地帯”で働く女性たちを撮ったパート「赤線地帯の女」は、写真界を巻き込む大きな議論を巻き起こしだ。それを受けて、1957年に出版された著書『危険な毒花』で、常盤はその心情を極めて率直につづることになる。   写真家の肉声 「ガラスの天井」とは、目に見えない社会的な障壁を指す言葉である。特に女性の社会進出という場面において使われることが多く21世紀の今も、いまだそれは存在していると指摘もされている。だが写真の世界を見れば、表現動向やコミュニケーションの面でムーブメントをけん引してうるのは間違いなく女性の活動だ。例えば写真界の芥川賞といわれる木村伊兵衛賞でも、2000年以降の受賞者を見れば、女性が男性を上回っている。彼女らの表現は確かにガラスを割り、行く先を照らし出している。 もちろんそれ以前にも、写真界に飛び込んだ女性の先駆者たちがいた。彼女らの仕事がしだいに壁を壊し、ついに現在の状況が生まれたことを忘れはならない。 なかでも、ドキュメンタリストとして足跡を残したのが、常盤とよ子だ。1957年、29歳で出版したフォトエッセイ『危険な毒花』には、女性しか接近できない対象が大胆に捉えられていた。それは当時、売春が公認されていた地区、つまり「赤線地帯」だった横浜市の真金町の遊郭街、またパンパンと呼ばれ外国人相手の私娼たちの日常である。本書には、昼間の日常的な表情から“夜の女”への変貌ぶりや、男の腕の中で振りまく愛想、あるいはその腕をふり切って叫ぶ痛切な表情などが、活き活きと描写されている。また受診が義務づけられた性病検査の様子なども収められもいる。1957年の「売春防止法」の施行からおよそ70年を経た現在では、その史料価値も高まっている。 本書においては写真だけでなく、文章もまた魅力的だ。常盤とよ子という個性的な若い女性の、恋愛感情を含めた私的な心境の変化が、一人称でじつに率直に吐露されているのだ。 この点を、高く評価したのは写真雑誌の編集者、目利きで知られた桑原甲子雄だった。1950年に『カメラ』誌上の月例コンテストにおいて、土門拳の「リアリズム写真運動」の舞台を用意したことで知られる桑原は、当時『サンケイカメラ』編集長に移って腕をふるっていた。その桑原が同誌1957年12月号で、本書について「ヒューマンなカメラ自叙伝」と題する書評を書き、被写体に対する人間らしい愛情がわかり「たんなる暴露趣味をプロカメラマンではないことを、この本ははみごとに立証している」と褒め、さらにこう続けたのである。 「とくに感心するのは、おそらくこの本が日本ではじめて、カメラマンの肉声を聞かせてくれたという、地に足のついた文章として深く訴える点である。このことは、従来の多くの写真家の観念過剰な思考に反省をうながすであろう」 これは見事な洞察と言わねばならない。報道写真が全盛の当時、写真家の著作は社会的な啓発を目指すものが大半であり、彼らの生活実感が明らかにされることはなかったのである。つまり、本音や「肉声」を欠いていたのだ・ そんな好意的な評価の一方で、『危険な毒花』をセンセーショナルに捉える向きもあった。撮影対象の素顔に接近するために常盤は、ときに隠し撮りさえしたこともあり、プライバシーの侵害に当たるのではないかと強い反発を招いている。そのため戦後写真史のなかでもきわめて稀なほど、多くのマスコミを巻き込んだ議論にまで発展した。 写真史を振りかえってみると、先駆者の多くははつねに賛否とともにあり、そのなかで鍛えられて成長するもののようである。常盤とよ子もまた、その道を辿ったのだった。   ヨコハマの戦後 常盤が初めての自前のカメラ、常盤精機製の二眼レフ“ファースト・フレックスを使ったのは1951年の「写真の日」、つまり6月1日だった。この日、新宿御苑で開催されたモデル撮影会に参加し、いきなり入選を果たした。これで多少の自信を得た23歳は、プロ写真家という目標に一歩でも近づけた気がしたという。 もちろん、当時、このような志を抱いていた女性は珍しかった。写真を学んでも求人はなく、しかも結婚すれば家庭に入ることを求められるのが常だった。当時の雑誌などを見ると、“女流”と呼ばれた写真家は、都内でもまだ20名ほどしか確認できない。とはいえ、本書で述べているように、彼女も良妻賢母になるよう育てられていた。 「カメラに興味を持ち出すまでのわたしは、普通なお嬢さんが考えているようなことを考え、漠然と、やがてお嫁さんになるにつもりで、お花とかお茶とか―ありきたりなお稽古ごとに、余暇をさいていたにすぎなかった」 1928年生まれの常盤の生家は、横浜市の東神奈川駅前に店を構えていた有名な酒問屋屋だった。元銀行だったという3階建ての洋館が店舗兼自宅で、両親と11人の兄弟姉妹が暮らしていた。幼い頃から芸事が好きだった彼女は、隣家の蕎麦屋の座敷で芸者衆が舞を披露していると、お囃子に合わせてよく踊ったと、私に思い出を語ってくれた。それは、彼女が最も幸福だった時代の記憶である。 だが、大戦末期の横浜大空襲が、家も大黒柱だった父も奪ってしまった。それでも常盤は高等女学校から麹町の家政学院に進み、その後には洋裁学校にも通ったいる。つまり戦後の困難な時期においても、人並以上の花嫁修業を積んだのだった。しかも、親の勧めに従い、すでに婚約者もいたという。 典型的なお嬢様的コースから外れたきっかけは、戦後に次兄が桜木町で経営していた、街頭広告の会社に勤めたことにある。宣伝用にアナウンスの仕事を担当した彼女は、それに適性を見出した。まだ珍しいテープレコーダーを使うなどして熱心に練習し、神奈川県では1位、全国コンクールでも4位にも入ったという。1951年に、日本で初めての民放であるラジオ東京(現・TBS)が設立されると、その女子アナに応募することも考えていた。 だが、ある写真家の強い影響によってその道に進む。それは兄の友人であり、後に彼女と結婚する奥村泰宏である。常盤より16歳年長の奥村は、戦前から注目されたアマチュア写真家で、ことに港町のシャレた風情の描写には定評があった。 だが横浜の受けた戦争の傷跡がその作風を変えた。異様なほど活気づく闇市と赤線地帯、そこを我が物顔で闊歩する占領軍兵士たち、一方で死んだように静まり返ったままの地域もある。戦前のモダンな横浜を知る奥村は、この現実を無視することはできず、街の様相を忠実に記録すようになったのだ。アマチュア写真家に「社会の困難さを見よ」と呼びかけた、土門のリアリズム写真運動にも呼応した、新しい方向性でもあった。そんな奥村たちグループ展を見たとき、常盤ははっきりと写真をやろうと決めたという。なにかアナウンサーよりは、写真家の方が、一流になれる可能性があるように思えたのだった。 それに個人的にも彼に惹かれてた。174cmという当時としては高身長で痩身、無口だが写真のことを熱っぽく話すときの表情に頼もしさとそれを超える感情を抱いた。奥村のことは同書の中に「Mさん」という仮名で登場するのだが、常盤は「わたしは年頃の娘としてMさんになにか理由のない温かいものをいだいていた」と綴っている。さらに、彼から言われた決定的な一言があった。 「戦後は、女の人があらゆる職業面に見覚ましい進出を見せてきたが、まだ写真界には、これぞという女流写真家が出ていないね。だから、あなただって、その気になって、一生懸命やれば、ひょっとすると一流カメラウーマンになれるとも限らないね……」 この頃、アメリカの写真界の影響は強く、『ライフ』のスター写真家であったマーガレット・バーク=ホワイトやドロシア・ラングといった女性のフォトジャーナリストの名前はよく知られていた。奥村の年頭にも、それがあったのだろう。 こうしてその気になった常盤は、たまたま有楽町駅前で知った、当時設立されたばかりの女性だけの「白百合カメラクラブ」でカメラの操作を習った。だが、お稽古ごとにとどまるクラブには物足りさも覚えたのである。そして2か月後、新宿御苑でのモデル撮影会で成果を挙げると、プロという目標に向かって突き進んでいったのだ。   『危険な毒花』への賛否 常盤は小柄だが、自ら「心臓に毛が生えている」というくらい肝が据わっている。その強さはカメラを持つとさらに増幅した。流行りのスカート姿で欄干に登ったり、列車のなかで寝そべってカメラを構えたりするなど、ずいぶん周囲を驚かせたという。 そんな常盤は、自分のなりたいものはプロの写真家であるとの意思を固めると、まっすぐに目標に向かっている。まず写真雑誌のコンテスト欄やグラビアの常連になった。それらで発表した写真の多くは、横浜の生活風景や外国船をめぐる情景で、奥村の作品とともに掲載されることも多かった。彼と行動をともにしながら、急速に独自の表現性を育てたのだ。ただし、プロの報道写真家になるためには独自の社会的テーマが必要だった。テーマもなく写真を撮ることが無意味であるとも感じるようになった。 そこで焦点を当てたのが女性の職業だった。 撮影に一年半かけたその成果は、1956年4月に銀座の小西六ギャラリーでの初個展「女から見た―働く女性」で披露されている。「赤線地帯の女」、「ショップガール」、「女子プロレスラー」、「海女」、「マネキンガール」、「看護婦」、「特殊女性」、「女子工員」、など14の職業についてのフォトルには、連日、行列を作るほどの観客が押し掛けてきた。 写真評論家の伊奈信男は『アサヒカメラ』7月号で同展をとり上げ、作者の視点は「男性の眼と少しも変りはない」が、女性だからこそ撮れた「赤線地帯の女」と「特殊女性」は注目に値すると書いた。とくに前者は鋭い描写で「この地帯の女たちに特有な生活感情と生態とが、典型的に表現」されており、素質を伸ばせば「わが国には数少ない女性カメラマンとして、大成することもできるだろう」と期待を示した。 こう褒められた常盤だが、「赤線地帯の女」をラインナップに加えたのは、このテーマが入ることで作品が強く印象に残るものになると思えたからだった。 とはいえ対象の女性たちに対して常盤自身、当初は好意的ではなかったという。米軍の空襲で父も生家も失った彼女には、焼け跡の街を闊歩するアメリカ兵への嫌悪が強あり、それが対象への厳しい眼差しに転化されている。だが撮り進めていくにつれ「感情の不純さが、芸術の持つ何ものかに浄化され」(本書)るのを感じ、写真も変わったのだ。 「赤線地帯の女」の撮り方にも、心境の変化が表れている。最初は川を挟んだ街から狙い、買い物かごにカメラを隠し持って接近したが、やがて街角のスナップになり、ついに彼女らに部屋に上って撮影するようになる。そこからさらに、診療所の協力を得ての性病検査の撮影や、女性たちの更生施設の取材など、社会派カメラマンとしての視点を深めた。 そして展示の翌年、『危険な毒花』が出版されると、常盤は新進の女流報道写真家としていっそうの注目を浴びたのだった。本書もよく売れて翌年にはすぐ15版を超え、写真雑誌はもちろん、全国紙と有力な週刊誌にも書評が掲載されている。 ただし、その評価はまったく賛否両論に分かれた。肯定的な意見はさきの桑原に代表されるが、否定派は「人間性を無視した度ギツイ写真」(『週刊朝日』12月8日号)など、プライバシーへの配慮がないというもの。写真雑誌では『フォトアート』が後者の急先鋒で、ときに座談会に土門拳を登場させるなど強く批判し、『サンケイカメラ』と数号にもわたって論争を重ねるなど、大きな論争に発展したのだ。 この騒然とした状況を、常盤自身はどう思っていたのか。1999年に行われた日本写真家協会のインタビューでは、彼女の周囲は怒っていたものの「でも、私はひどく面白いと思って、「ああこんなことをやってくれるんだ」という感じでした」(『日本写真家協会会報』№122掲載)と、こともなげに振り返っている。 『危険な毒花』は、そんな明るく強い女性だからこそ生まれ得た大きな成果だといえよう。それは戦後史のきわめて重要な記録であり、本作について交わされた議論を含め、この時代の女性のあり方を鮮やかに浮かび上がらせているのである。 最後に、本書に記した常盤の決意を引用しておきたい。これを読んでみなさんは、今どう感じるだろうか。 「わたしの仕事の大部分は、これまでのところ、女性なるがゆえに、生み出すことができた作品の多いとは見逃がしえない事実なのだ。 カメラへの魅力は、男だから女だからと、そこに違いがあろうとは思えない。アマチュアでない限り、カメラのメカニズムをとおして、現代の社会現象をとらえて、それを深くえぐることは、女性にだって許されている」   常盤とよ子(ときわ・とよこ) 1928年、神奈川県横浜市生まれ。東京家政学院と洋裁学校を卒業後、街頭宣伝会社のアナウンサーを経て写真家をめざす。1950年代から70年代にかけ精力的に作品を発表。1957年、新鋭写真家を集めた企画展「10人の眼」に参加。他の主な写真集・著作に「わたしの中のヨコハマ伝説 1954-1956」、「横浜再見――二人で写したストリート」(奥村泰宏との共著)がある。   関連記事 [clink url="https://picon.fun/photo/20260612-01/"] [clink url="https://picon.fun/photo/2026-06-26-2/"] 文・写真評論家 鳥原学 NPI講師。1965年大阪府生まれ。近畿大学卒業。フリーの執筆者・写真評論家。写真雑誌や美術史に寄稿するほか、ワークショップや展示の企画などを手掛ける。2017年日本写真協会学芸賞受賞。著書に『時代を写した写真家100人の肖像』、『写真のなかの「わたし」:ポートレイトの歴史を読む』、『日本写真史』など多数。 鳥原学 時代を写した写真家100人の肖像 上・下巻(玄光社/定価2500円+税)より   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

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これで指示出しがスムーズに!文字校正と校正記号のきほん|広報・PR担当者・ノンデザイナーに読んでほしいデザインのきほんvol.6

こんにちは!PicoN!編集部イチムラです。 広報・PR担当になったけど、思うようにデザインができない!外部デザイナーに伝えたい事が伝えられない!と悩んでいる方へ役立つヒントをお届けしていきます。 [word_balloon id="unset" src="" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" name="編集部 イチムラ" avatar_border="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"] 今回は、これから学校案内や会社案内などのパンフレット制作を控えている方にも、ぜひ知っておいてほしい「校正」のお話です。デザイナーから制作物の校正紙が提出されたら正しい情報になっているかを確認しますよね。丁寧に指示を書き込みたくても紙面に書くスペースも限られているし、、、と困った事はありませんか?そんな修正指示を、デザイナーに分かりやすく伝えるために使えるのが校正記号です。今回は、実際の制作現場でよく使うものを中心に、校正の基本を紹介していきます![/word_balloon] そもそも「校正」って何をするの? 校正と聞くと、「誤字脱字を探す作業」というイメージがあるかもしれません。もちろん、それも大事。でも、校正で確認するところはそれだけではありません。 原稿どおりに文字が入っているか。数字や日付は合っているか。固有名詞は間違っていないか。文章の表記が統一されているか。 などなど確認事項はたくさん。 そして、デザインを進める中で、文字が抜けたり、入れ替わったりしていないか。つまり校正とは、「これ、このまま世に出して大丈夫?」を確認する作業。です。 パンフレットやチラシは、一度印刷してしまうと、間違いを見つけても簡単には直せません。だからこそ、印刷する前の校正がとても大切なんです。 誤植を発見した後は大変。 修正するには、刷り直しや、訂正シールを貼ったりといった作業が発生します。刷り直しには、お金がかなりかかってきますし、訂正シールを貼るにも、相当な部数のものだと、労力も人件費もかかってきます、、、。とにかく大変です。(どちらも経験済みです泣) 校正紙が届いたらそこから何をしたら良いかを説明していきます。 校正に赤字を入れる(赤入れ) 校正は紙の状態で 制作物を依頼する場合、掲載するテキストと画像データを制作会社にお渡しします。その内容をデザインに落とし込み、最初に提出される校正紙を初校(しょこう)と言います。コロナ禍を経た今、校正紙がデータ提出になったというところも多いのではないでしょうか。画面上でチェックする人もいるかと思いますが、経験上、修正箇所を見過ごしてしまう事が多く、あまりオススメはできません。少し手間ですが、プリントアウトして紙の状態でチェックしましょう。修正箇所をすぐ書き込めるのもメリットです。 赤のボールペンで、「分かりやすく」書き込む 校正の際に必要になるものは「赤のボールペン」 黒だと校正紙の文字と同化してしまうので赤色で修正を入れるのが一般的です。 対面で直接デザイナーさんに修正指示を伝えらないケースもありますので、修正指示は、「誰が見ても分かりやすいように」を心がけて丁寧な字で書いていきましょう。 殴り書きで書いてしまったが為に、デザイナーさんが修正指示を認識できず、意図しない修正が上がってしまう恐れがあり、注意です。 原稿と見比べて 提供した文字データや画像データが意図した場所に入っているかをチェックしていきます。 ☑️チェックポイント ①誤字・脱字:漢字の変換ミスや抜けも注意 ②表記ゆれの統一:同じ言葉の表記の統一 ③数字・記号の統一:全角や半角も統一 ④専門用語やコンテスト名などの固有名詞:正しい単語か調べてチェックしましょう 指示通りに入っており、これ以上の修正や変更がなく、印刷工程に進んでもよい状態であれば、校正紙(複数枚ある場合は校正紙の一番先頭のページ)に校了(こうりょう)と記載し、先方に戻します。 表記ゆれの統一には、チェックリストを作っておくと便利! 毎年作っている冊子であれば、昨年度のチェックリストを元に、追加原稿を送る段階で、リストに添って、原稿を修正しておくと、文字校正の時にとても楽になります! 校正作業の進行に対する指示 校了以外にも、校正作業を進めるにあたって使われる用語がいくつかあります。ここで紹介する用語は、原則、校正紙の先頭ページに記入する事で進行の指示をします。 要再校 初校の次に、もう一度、校正してほしい時に、校正紙の先頭ページに記入します。 要三校 再校の次に、校正してほしい時に、校正紙の先頭ページに記入します。 要念校 印刷や出版の現場で、校了(印刷OK)を出す直前に「念のため」もう一度行う最終確認の校正です。 責了 担当者が最終確認を行わず、制作側やの責任で修正を完了させて校了(印刷・進行)にすることを指します。 軽微な修正であれば責了にしてしまうこともあります。 校了 印刷物などの原稿に対する校正が完了し、これ以上の修正や変更がなく、印刷工程に進んでもよい状態を指します。 ここまできたら、いよいよ印刷に進みます! 修正指示が長くなってしまう場合は 長文になるような差し替えは、Wordなどのデータにまとめ、「◯◯◯.docx参照」と記載して、校正紙とともにお戻ししましょう。 よく使う校正記号 私が校正でよく使う校正記号をご紹介します。ごく一部にはなりますが、これを知っておくだけでも十分校正できるので、ぜひ覚えて使ってみてくださいね。デザイナーとしても知っておいた方が良い知識かと思います。特に冊子ものでよく使うので、将来、エディトリアルデザインの業界で働きたい人は覚えておきましょう。   文字の削除   文字を変更   改行 小書き 修正を取りやめる 全てのページがチェックし終わったら 先ほどご紹介した進行に対する指示を書き込んで制作会社にお戻しします。ページものだと、校正のチェックに時間がかかるので、戻しの日に間に合うように余裕を持って作業を進めましょう。上長へのチェックも忘れずに! スキャンで戻す際は、原稿が切れていないか注意! データでお戻しする際、校正紙をスキャンしてデータ化します。その時に注意してほしいのが、指示の書いたところが切れてしまう事。 スキャンしたものは制作会社に戻す前に一度確認して全部の赤字修正が入っているかどうかを見てみてくださいね。       [word_balloon id="unset" src="" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" name="編集部 イチムラ" avatar_border="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]色のお話は以上です!次回は、ちゃんと知っておきたい画像のお話をお送りします。[/word_balloon] 文 : PicoN!編集部 市村   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

デザイン

スクリーントーンが生み出す表現を、現役漫画家と探る「アイシースクリーン展2026」

影や質感、光、空気感――漫画の中でさまざまな表情を生み出してきたスクリーントーン。半透明のフィルムに印刷された柄や網点を貼り、重ね、時には削ることで、描き手の意図に合わせて多彩な表現をつくり出せる、漫画制作には欠かせない画材のひとつです。 デジタルでの漫画制作が当たり前になった今、改めて注目したいのが、手作業だからこそ生まれるアナログ画材ならではの表現力。 そんなスクリーントーンの魅力を「再発見」できるのが、現在開催されている「アイシースクリーン展2026」です。本展では、スクリーントーンそのものではなく、スクリーントーンを用いて制作されたアナログ作品を展示。さまざまなクリエイターが生み出した作品を通して、スクリーントーンが一枚の絵にどのような表情を与えているのかを間近で見ることができます。   今回は、現役漫画家の雲七紅先生と一緒に会場を巡りながら、展示作品に使われたスクリーントーンの表現をチェック。「この表現はどうやって生まれている?」「プロはスクリーントーンをどんなふうに使ってきた?」――作品を見ながら話を聞くことで、アナログ画材だからこそ生まれる表現の面白さを探ってみました。 雲七紅 マンガ家・イラストレーター。魔法使いやファンタジーもの、女の子を描くのが好き。主な作品は、『繰り返す夜会で、今夜もまた貴方から婚約破棄を』コミカライズ担当完結(ナナイロコミックス)『ミラクルきょうふ! 本当に怖いストーリー』『ミラクル相談室 ネット&スマホのトリセツ』シリーズ(西東社)など   夏休みの原宿を抜けて会場へ JR原宿駅の表参道口を出ると、まず目に飛び込んでくるのは、夏休み真っただ中の原宿らしいにぎわい。駅前にはたくさんの人が行き交い、友達同士で歩く学生や、ショッピングを楽しむ人たちでいっぱいです。原宿といえば竹下通りを思い浮かべる人も多いかもしれませんが、今回の会場へ向かうなら、表参道口から表参道方面へ。駅を出て表参道へ向かって歩いていくと、ほどなくしてラフォーレ原宿や東急プラザ表参道「オモカド」が見えてきます。ラフォーレ原宿は表参道と明治通りが交わる交差点に位置する、原宿を代表する商業施設のひとつです。ここまで来たら、ラフォーレ原宿のある交差点を目印に明治通りを渋谷方面へ。夏休みということもあって、道沿いにはお店をのぞきながら歩く人や、目的地へ向かう若者たちの姿が途切れません。 原宿らしい活気を感じながら歩いていると、今回の展示が待つ会場へと近づいてきました。 今回の会場は、原宿マリーエンケーファー 原宿駅から徒歩7分の隠れ家のようなギャラリーです。 階段を降りて左側がギャラリーです。   アナログ画材の表現力を再発見する「アイシースクリーン展2026」 そして、いよいよ「アイシースクリーン展2026」へ。原宿の街を行き交う人々の中を抜けてたどり着いた先には、スクリーントーンを使って生み出された、さまざまなアナログ作品が待っています。 本企画展は漫画制作に欠かせないキャラクターの感情や背景、影などを表現するための画材として長年親しまれてきたアイシースクリーン(トーン)に焦点を当て、その豊かな表現力や独特の質感を再発見する内容となっています。 アイシースクリーン(トーン)とは アイシースクリーン(トーン)は、半透明のフィルムにパターンやアミ点などを印刷したコミック制作の定番商品です。約700種類ものデザインを展開しており、多くのプロ漫画家にもご愛用いただいています。本製品を使用することで、濃淡や柄はもちろん、キャラクターの感情まで豊かに表現できます。 また、フィルムの裏面はワックスタイプの接着剤で、貼ったり剥がしたりといった作業を簡単に行うことが可能です。 アイシースクリーン製品ページ:https://www.icscr.jp/icscreen/ (引用元:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000109.000138307.html)   出典作家さんは、漫画家のみならず、イラストレーター、グラフィックデザイナーなど様々な領域で活動されている方々で、漠然と【アイシースクリーンは、漫画を制作するときに使用するアイテム】と思っていた筆者は、展示されている作品を拝見して、もっと柔軟に色々な使い方をしていいアイテムなんだと感じました。グラフィックイラストとの相性も良く、漫画作品以外でも多くの作品に愛してもらえるアイテムである事が伝わってきました。多くの方は、漫画原稿用紙に描かれていましたが、中には、日々制作で用いている和紙で制作する作家さんもいらっしゃいました。   個性豊かな作品のキャプションには、使用画材のほか、アイシースクリーンの何番のものかが掲載されていたのも、アイシースクリーン展ならでは。   数ある中から厳選されたアイシースクリーンも販売されています。   漫画制作で実際に使用するアイテムの他、アイシースクリーンのクリアファイルや、漫画原稿用紙のメモなどユニークなアイテムもたくさん販売されていました。     小学生の頃からスクリーントーンに触れ、漫画制作を続けてきた雲七先生に、スクリーントーンとの出会いや、アナログならではの表現について聞きました。 小学6年生で出会ったスクリーントーン 市村 スクリーントーンを使い始めたのは、いつ頃だったのでしょうか? 雲七紅 小学6年生の頃ですね。 当時、応募したい漫画賞があったんです。でも、漫画用品を一つも持っていなくて。放課後通っていた学童に、偶然、漫画家を志していた先生がいたので、世界堂を紹介してもらい、買いに行きました。 市村 初めて自分でスクリーントーンを買ったときのことは覚えていますか? 雲七紅 最初に買ったものは、すごくベーシックなものだったと思います。 漫画家向けのセットも売られていて、その中に必要なものが一通り揃っているものがあったので、「これで間に合うんじゃない?」という感じで手に入れました。 当時は、先生から「これを買ったほうがいい」と教えてもらったというより、とりあえず売っているところを教えてもらって、実際に買ってみた感じですね。 [caption id="attachment_29894" align="alignnone" width="563"] 雲七先生のアイシースクリーンコレクション[/caption] 初めてのスクリーントーンは「とにかく使ってみる」 市村 最初からうまく使えましたか? 雲七紅 いや、最初は貼り方がよく分かっていなかったので、うまく貼れなかったですね。スクリーントーンって、学生からするとちょっと高価なアイテムだったんですよね。1枚でもそれなりの値段がするので、失敗すると「もったいない!」という気持ちもあって慎重に貼ってました。 何回も失敗して、破れちゃったり、原稿切っちゃったり そういう経験をしながら、少しずつ使い方を覚えていきました。 「貼る・重ねる・削る」ことで変わる表現 市村 スクリーントーンを貼る技術は、どのように身につけていったのでしょうか? 雲七紅 最初からうまく貼れたわけではないです。使っていくうちに、どこに貼るか、どう重ねるか、どう扱えばきれいに仕上がるかを覚えていきました。 スクリーントーンは、同じものでも使い方によって全然違って見えるんですよね。何を見せたいのか、どこに印象を残したいのかを考えて、トーンを使い分ける。そういうことを繰り返しながら覚えていったんだと思います。 [caption id="attachment_29894" align="alignnone" width="563"] 本記事のための雲七先生のスクリーントーンを使用した描き下ろしイラスト[/caption] [caption id="attachment_29894" align="alignnone" width="563"] 本記事のための雲七先生のスクリーントーンを使用した描き下ろしイラスト[/caption] 「何にどう使うか」を考えるのが面白い 市村 今回の展示作品を見ていて、改めてスクリーントーンの面白さを感じるところはありますか? 雲七紅 人によって使い方が全然違うところですね。 同じスクリーントーンでも、何にどう使うかで表現が変わる。どこを見せたいのか、何を印象として残したいのか。 そういう使い分けを考えるのが面白いと思います。 スクリーントーンって、ただ貼ればいいというものではなくて、作品の中でどう見せるかを考えるための画材なんですよね。 デジタルになっても、アナログの経験は生きている 市村 今はデジタルで作画することも増えていると思いますが、アナログとデジタルでは、トーンの表現は変わりますか? 雲七紅 変わると思います。 デジタルだと、印刷したり書き出したり、画面サイズを拡大・縮小したりすると、網点の掛け合わせが少しズレて見えることもあります。 だから、そういうところは気をつけています。 アナログの場合は、実際に紙に貼っていくので、トーン同士の重なり方や、削ったときの見え方など、手を動かして確認しながら作っていくことができます。 デジタルにはデジタルの良さがありますが、アナログならではの感覚もあると思います。 描かない事で描かれる表現 市村 本展で気になった作品を教えてください。 雲七紅 こちらの作品です。あえて右側の風鈴の主線を描かない事で、前ボケを演出していますね。 「できて当たり前」の技術が、失われつつある 市村 スクリーントーンを使える人や、アナログで作画できる人について、最近感じることはありますか? 雲七紅 昔は、漫画を描くうえで「できて当たり前」だったことが、今は少しずつ変わってきていると思います。デジタルで作画する人が増えているので、アナログでトーンを貼ったり、アシスタントとして作業したりできる人は、以前より少なくなっている印象があります。だからこそ、今後はアナログの技術を持っていること自体が、ひとつの強みになるんじゃないかなと思います。普段デジタルで制作する事が当たり前になっていますが、久しぶりにアナログで制作したいという気持ちになってきました! スクリーントーンを知ることは、表現の引き出しを増やすこと スクリーントーンは、漫画を描く人にとってはおなじみの画材かもしれません。 けれど、「知っている」ことと「どう使うかを知っている」ことは、少し違うのだと気づかされます。 どこに貼るのか。どのくらいの大きさで使うのか。重ねるのか、削るのか。そして、その表現で何を見せたいのか。 デジタルでの作画が主流になった今だからこそ、実際に紙の上でトーンを扱ってみることで、自分の表現について考えるきっかけになるのかもしれません。 展示された作品を見ながら語ってくれた雲七先生の言葉からは、スクリーントーンが単なる「漫画を仕上げるための道具」ではなく、作品の印象をつくり、描き手の意図を伝えるための表現手段であることが伝わってきました。   『アイシースクリーン展2026』は2026年8月30日(日)まで 《展覧会情報》 『アイシースクリーン展2026』 ⽇程:2026年8月14日(金)〜8月30日(日) 時間:12:00〜19:00 ※火曜日定休 会場:原宿マリーエンケーファー(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目28−4 シニック関根ビル 地下1階B) 観覧料:無料 取材・撮影/PicoN!編集部 市村   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

マンガ

青春の上に立つ。 ーーー憧れたカルチャーの中で働く。好きなものを追いかけ続けた先で見つけた、フォトグラファーという生き方。

高校生の頃、憧れのアーティストを観るために通っていたZepp。あの頃は客席から見上げていた場所に、今はフォトグラファーとして立っている。 友人から譲り受けた一台のカメラ。SNSに広がった写真。 学生時代に撮り続けていた仲間たちの活躍とともに、自分の仕事も少しずつ広がっていった。 「自分はラッキーマンなんです」 そう笑う新谷さんの言葉の裏には、好きなものを追いかけ、人との出会いを大切にしてきた時間がある。 今回は、音楽シーンを中心に活躍するフォトグラファー・新谷隼人さんに、これまでの歩みと、今もシャッターを切り続ける理由について話を聞いた。 好きだったものを撮り続けた先に、今がある ー現在のお仕事内容について教えてください。 現在はアーティスト写真やジャケット撮影、ライブ撮影、グッズのビジュアル撮影、ファッションブランドのEC撮影などをしています。仕事の約9割は音楽関係です。 [caption id="attachment_29323" align="alignnone" width="750"] Billyrrom 1st Album「WiND」(Photo by Hayato Niiya)[/caption] 専門学校時代の友人を通じて知り合ったバンドを2021年頃から撮り続けています。 [caption id="attachment_29324" align="alignnone" width="750"] Billyrrom Artist Photo(Photo by Hayato Niiya)[/caption] ここ1〜2年で、そのバンドをはじめ、自分が撮り続けてきたアーティストたちが注目されるようになって、自分自身の仕事も少しずつ広がってきました。好きだったものを撮り続けてきたことが、今につながっているんだと思います。 「なんか楽しそう」から始まった写真との出会い ー写真はいつから始められましたか? はじめてカメラを手にしたのはいつですか? 高校2年生の頃です。 通信制高校のサッカーコースに通っていて、小学1年生から続けてきたサッカーをやっていました。ただ、高校1年生の冬にはプレーヤーとして続けるイメージが持てなくなって、マネージャーになったんです。同じクラスにはサッカー以外の進路を考えている友達もいて、そのうちの一人がカメラにハマり始めました。その姿を見て、「なんか楽しそうだな」と思ったのが写真を始めたきっかけです。その友達から、オリンパスのカメラを譲ってもらって、本格的に撮影を始めました。その後、親にCanon EOS 80Dを買ってもらい、どんどん写真にのめり込んでいきました。 ーフォトグラファーを職業として意識したのはいつ頃ですか? 高校2年生の冬頃です。 当時はまだInstagramが今ほど普及していないような時代でしたが、自分が撮った写真を友達がSNSのアイコンに使ってくれたり、その写真を見た知らない人から撮影の依頼をいただいたりするようになりました。 「自分には才能があるのかもしれない」 そう思えた瞬間でした。 その頃からサッカーチームの試合や集合写真、クラブチームのホームページ用写真などの仕事も受けるようになりました。高校生のアルバイトよりも稼げたこともあって、「写真を仕事にできるんだ」という成功体験になりました。 海外への憧れが、進路先の決め手になった ー専門学校へ進学しようと思った理由を教えてください。 もともとは美大に進学したいと思っていました。でも出願時期を逃してしまっていて、浪人するか迷ったんです。そんな時に東京近辺にある写真の専門学校を何校か見学しました。僕は愛知県出身ですが、高校進学のタイミングで東京へ出てきました。中学時代はほとんど学校へ行っていなかったんですが、サッカーを続けたくて東京を選びました。高校時代から東京のファッションや音楽などのカルチャーに触れていて、専門学校を選ぶ決め手になったのは海外研修制度でした。 「海外へ行きたい」 その思いがすごく強かったんです。学校見学で教務課長の奥先生から海外研修について聞いて、「NPIに進学しよう」と決め、学校見学の翌日には願書を記入していました。 残念ながら、新型コロナの流行があり、海外研修には行けなかったのですが、現在、仕事で海外ツアーの撮影もよく入るので、1年の半分くらいは海外にいます。明日からチェコへ行く予定です。 [caption id="attachment_29320" align="alignnone" width="750"] Photo by Hayato Niiya[/caption]   音楽カルチャーが写真の原点 ー学生時代に影響を受けた写真家やクリエイターはいましたか? 写真家では奥山 由之さん、嶌村 吉祥丸さん、小見山 峻さんに影響を受けました。 実は写真だけではなくて、音楽から受けた影響もすごく大きいです。SuchmosやYogge New Waves、King Gnuなどの音楽をよく聴いていました。音楽だけではなく、その世界観をつくるファッションやグラフィック、アーティスト写真にも惹かれて、「この写真は誰が撮っているんだろう」と写真家を調べるようになりました。 写真だけじゃない。現場で学んだ「仕事」のこと ー学生時代に転機となった出来事はありますか? 『SHUKYU Magazine』との出会いです。高校生の頃、代官山 蔦屋書店によく通っていて、そこでロシアワールドカップ特集号を見つけました。 SHUKYU Magazine 12 FUN ISSUE サッカーの楽しみ方は一つではありません。プレーすること、観ること、着ること、読むこと、聴くこと、集めること、食べること、語ること…。そのどれもがサッカーの一部です。 12号目のテーマは「FUN」です。順次発売を開始しております。https://t.co/KpvWXddkp4 pic.twitter.com/SWVACa3hd2 — SHUKYU (@shukyumagazine) May 28, 2026 サッカー雑誌だと思って手に取ったら、試合写真が一枚も載っていなかったんです。代わりに載っていたのは、人や街、ファッション、カルチャーの写真ばかりでした。「サッカーをこんなふうに表現できるんだ」と衝撃を受けました。 当時はサッカーが好きだけれど、プレーヤーとして続ける未来は見えていませんでした。でも、サッカーを文化として伝える仕事があることを知って、「サッカーを別の形で表現する道もあるんだ」と感じたんです。 ちょうど求人が出ていたので、NPI1年生の冬休み明けからスタッフの一員として働き始めました。   ーSHUKYU Magazineでの経験は、現在のお仕事にもつながっていますか? すごくつながっています。撮影だけじゃなくて、商品の撮影やイベントの設営、物販、スタイリング、キャスティングなど、本当にいろいろなことを経験しました。一般的なスポーツメディアは試合や結果を伝えることが中心ですが、『SHUKYU Magazine』はその周りにあるカルチャーや人を大切にしていました。そこで学んだ「写真だけじゃ仕事は成り立たない」という考え方は、今でも自分の軸になっています。スタジオ勤務やカメラマンのアシスタント経験がないことにコンプレックスを感じていた時期もありましたが、今振り返ると、あの経験が自分にとってのアシスタント期間だったと思っています。 ー在学中にこれはやってよかった、逆にやっておけばよかった事はありますか? 写真集は本当にたくさん見た方がいいと思います。 新しいものを生み出すと言っても、過去の表現の積み重ねなんですよね。先生からも「写真集を読め。スクラップしろ」と言われていました。今になって、その意味がよく分かります。   ー学生のうちに身につけておいた方がいいことはありますか? 写真以外のことだと、例えば、確定申告やギャラ交渉、お金のこと。フリーランスになると、自分の仕事にどれくらい価値があるのかを自分で判断して、相手と話をしなければいけません。そういう知識は学生のうちに学べたらよかったなと思います。   遊びの延長線上に、仕事があった ーフォトグラファーという仕事の魅力を教えてください。 僕はずっと遊んでいる感覚なんです。 [caption id="attachment_29360" align="alignnone" width="750"] Photo by Hayato Niiya[/caption] もちろん仕事なので責任はあります。クライアントの要望に応えることや、いい写真を撮る責任もあります。でも、自分が好きだった音楽やカルチャー、人とのつながりの延長線上に今の仕事があります。 遊びの中で人と出会って、その出会いが仕事につながって、また新しい人とのつながりが生まれる。 [caption id="attachment_29361" align="alignnone" width="750"] Photo by Hayato Niiya[/caption] 振り返ると、自分は本当にラッキーマンだなと思います。 サッカーが好きじゃなかったら、『SHUKYU Magazine』にも出会っていなかったし、その経験が今の仕事につながることもなかったと思います。   ー10年後、どんなフォトグラファーになっていたいですか? レッドカーペットを歩いてみたいですね。 アーティスト、クリエイター、レコード会社スタッフ、コンサートプロモーター、音楽出版社、海外音楽賞審査員など、各分野の音楽関係者より構成される5,000名以上の投票メンバーにて厳正なる投票を行ない、受賞作品/アーティストを決定する音楽賞「MUSIC AWARDS JAPAN」には、アルバムのデジタルのアートワークを評価する「最優秀アートワーク賞( in association with 日本グラフィックデザイン協会)」という賞があるんです。 ━━🏆 #MAJ2026 受賞速報 🏆━━ 最優秀アートワーク賞 in association with 日本グラフィックデザイン協会 ━━━━━━━━━━━━━━━ 平林奈緒美 / Martin Holtkampの 「怪獣 | サカナクション」に決定!#MUSICAWARDSJAPAN pic.twitter.com/i1EaE4XDMb — MUSIC AWARDS JAPAN公式 (@MAJ_CEIPA) June 13, 2026 そういう場所で、自分の仕事が認められるようなフォトグラファーになりたいです。 青春の上に立つ。 ー今、大切にしていることや、これから先も変わらず持ち続けたい想いはありますか? 韓国のバンド・HYUKOH(ヒョゴ)の「一生青春」という言葉がすごく好きなんです。 最近、その言葉の意味が自分の中ですごく腑に落ちていて。 高校生の頃、憧れのアーティストのライブを観るために通っていたZeppで、今はフォトグラファーとして撮影をしています。当時、「いつかここで写真を撮れたらいいな」と思っていた場所に、自分が仕事で立っている。不思議な感覚ですよね。しかも、憧れていたSuchmosのメンバーや、その周りで活動していたアーティストたちも、今では仕事を通して身近な存在になりました。 [caption id="attachment_29362" align="alignnone" width="750"] Photo by Hayato Niiya[/caption] ライブ会場へプライベートで遊びに行ったとき、自分が撮影やデザインに携わったライブグッズのナップサックを背負っているファンの子を見かけたことがあるんです。あれは本当にうれしかったですね。 [caption id="attachment_29328" align="alignnone" width="600"] 新谷さんが撮影した写真が使用されているグッズ[/caption] 高校生だった頃の僕が、憧れのアーティストのグッズを身につけてライブへ行っていたように、今度は誰かにとって、そのグッズが特別なものになっている。「今の高校生にとっての憧れ」が、自分の仕事とつながっているんだと思うと、すごく不思議な気持ちになります。だからこそ、高校生だった頃の自分に恥ずかしくない大人でいたい。 あの頃の自分が見ても、「かっこいいな」と思える生き方を続けていきたいんです。遊ぶことも、人と出会うことも、写真を撮ることも、全部つながっています。 だから僕は、これからも遊び続けながら、シャッターを切り続けたい。 ーもし学生時代の自分に声をかけるとしたら? 実は、あまり声はかけないかもしれません。後悔していることがほとんどないんです。もちろん、「授業はもっと出ておけばよかったな」とか、「写真集はもっと読んでおけばよかった」と思うことはあります(笑)。 でも、あの頃に好きだったもの、夢中になっていたこと、人との出会いがあったから今があります。 だから、「そのまま楽しんでこい」くらいですかね。   PROFILE photographer 新谷 隼人 2000年愛知県生まれ。 17歳の時に写真を撮り始め、日本芸術専門学校を卒業後、東京を拠点に主にファッション・音楽の分野で写真家として活動中。   取材/PicoN!編集部 市村 撮影/内山慎也   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

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