PicoN!な読書案内 vol.22 ― 『バリ山行』『ここはすべての夜明けまえ』

この連載では、ライターの中尾がこれまで読んできた本の中から、アートやデザインに纏わるおすすめの書籍をご紹介します。

今回は今年発売の純文学小説にフォーカス。

「純文学」という言葉を聞いたことがあるだろうか?小説のジャンルの一つで、ストーリーの起伏があるエンタメ小説と比較して、人間の心情や風景の美しさといった機微を主題とした作品のことを純文学と言う。中学や高校の国語の教科書に出てきた近代文学や、芥川賞受賞作などが代表例だ。

…と言うと少し古風な印象があるかもしれない。昨今は文学的表現が優れているエンタメ小説も多く、純文学ジャンルでも令和ならではのポップな文章表現をしている作品も増えてきた。今回は、最近の純文学作品で話題になったものをいくつか紹介したいと思う。

バリ山行(松永K三蔵/講談社)

 

今夏、第171回芥川賞を受賞した本作。作者は兼業作家で平日は会社員をしながら小説を書いているそうだ。
主人公の波多は転職2年目。ある日会社の仲間に誘われて、休日に六甲山の登山に参加する。そこには普段あまり交流をしない変わり者のベテラン社員、妻鹿の姿があった。同僚にはあまり知られていなかったが、妻鹿は毎週末登山をしており、どうやら普通の登山でなく「バリ」と呼ばれる登山だった…。
「バリ」とは登山用語で「バリエーションルート」の略称。整備された一般的な登山道でないルートを自分自身で開拓する、いわばタブーで危険な試み。
波多は徐々に登山をやるうちに、妻鹿の存在とスリリングな「バリ山行」が気になっていく。そんな折、勤めている会社組織が大きく変わる出来事が起きる。

まずなんと言っても文章が読みやすい。文体のリズムが自然でありながら心地良い。登山のシーンは読みながら不思議と自分も山の中にいるような気持ちになるし、波多が登山の間は会社員生活の重圧から解放されている心情がありありと伝わる。
同時に本作は会社員である波多の、仕事への向き合い方・組織での立ち回り方など、世の中の多くの人が直面しているであろう悩みもリアリティを持って描かれる。
人生に悩める会社員が登山をする、筋書きはただそれだけなのに、そのリアルさが文章表現により、とても魅力的に立ち上がる作品だ。

ここはすべての夜明けまえ(間宮改衣/早川書房)

画像引用:早川書房HP

 

作者の間宮改衣氏は、本作で第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞しデビュー。
主人公は25歳の時に父親の勧めで肉体が老化しない「融合手術」を受け、機械の身体で過ごすことを選択する。永遠に年をとらない自分と、確実に死がある家族やその周辺との関係性を手記のような形で語られる物語だ。

「SF小説」といえば、地球外生命体との戦いなど壮大な作品から、タイムリープやパラレルワールドを描く作品のイメージが強いかもしれないが、近年、科学技術の発展による現代の倫理観への問題提起をする作品が増えてきている。少し先のあり得るかもしれない未来に対して、個々人の感情の変化や人生観を問いただすような作品は、純文学的な要素が強いように思う。特に本作は主人公の心の揺れや人間の本質的な感情に向き合う話だ。
主人公が若い女性であったことから置かれてきた状況や複雑な家庭環境、生身の身体をもつ恋人との関係など、葛藤とともに生きる彼女の姿に度々苦しくなる描写もある。しかし、孤独を抱えて生きた彼女に、全く違う価値観を持った人物との出会いが待ち受ける。人と人とは共感し合えないが、弱さと向き合うことで新しい価値観を持つことが出来る。そんな気持ちになれる一作。

今回あげた二作品は、文体が心地良く、現実と少し違う世界に没入することが出来る。日常生活に物足りなさを感じていたり、新しい価値観に出会いたい人におすすめしたい。

文・写真:ライター中尾


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